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倉敷ホーリネスチャーチメンバー、y,m 姉の証です



 私は小さな農家の4人姉妹の次女としてうまれました。母はいつも同居する祖母とのことで頭も心もいっぱいで、家の中で笑顔になることはほとんどなかったのではなかったかと思います。そんな母に寡黙で短気な父は上手に対応できずにいたようでした。姉は地域でも評判の美人で、また優秀な人でした。成績はいつもトップ、絵画や習字は校内で毎回表彰されていましたし、スポーツも万能でした。両親はこのような姉がとても誇りだったこととおもいます。また、妹二人は双子で、末の妹が出生時に事故で大やけどを負ったせいもあり、かばいあうようにして生きているかのように仲のよい二人でした。両親にとってそんな妹には負い目のようなものがずっとあるようでした。
 このような、家庭のなかで、私はいつも自分の居場所がなく、幼い頃から孤独を感じていました。両親が私に無関心なのは、私が姉のようではないからだ、とずっと自分を責め続けていましたし、母のストレスはいつも暗い顔をしている私に向きやすかったのではないかと今になって思います。
 いつも、心の中に整理できない荷物が重くいすわっているように感じていました。
 高校を卒業し、広島の大学に行く頃には、そうした孤独と闇はわたしの性格の一部となり、そういった自分と何とかうまくつきあえるようになっていました。うまくつきあう、といっても、友達と刺激のある遊びをしてみたり、嘘を平気でついたり、見栄を張ってみたり、自分をなんとかごまかしていたのかもしれません。
大学生活を送るなかで、私にひとつの出会いがありました。クリスチャンの友達との出会いです。今まで抱えてきたものを、彼と話していると、自分の中で少しずつ整理できていくのがわかりました。私には傷があること、自分を否定し続けていること、自分の家族を愛せない苦しみがあること。
 そのうち私は、広島の舟入バプテスト教会に足をむけるようになりました。私に必要な何かがここにいくとわかるのではないかと。
 大学を卒業する頃、友人として付き合っていた彼から結婚を前提として付き合ってほしいといわれました。けれど、問題がありました。それはクリスチャンである彼の両親がクリスチャンでない私をみとめられないということでした。
 彼との出会いの中でゆっくりではあるけれど自分を取り戻しつつあった私には、まだ彼の存在は必要に思えましたし、愛されることをあきらめていた家族にかわって、自分を愛してくれる人がいることに喜びもありました。私のような思いをしなくてもいい子供たちを、家庭をつくって、みかえしてやりたい、そんな思いもはたらきました。
 受洗は、自分が幸せになるための設計図のほんの一部でした。彼の両親にみとめられるための手段のひとつでした。
 神様はそのような思いで受洗した私を、憐れに思ってくださっていたのでしょう。私のそうした思いを神様の前に告白する機会を与えてくださいました。
 それは広島で2年間仕事をした後、結婚する前に語学を修めたいとカナダへ留学したそのころでした。
 カナダでの生活に早く慣れようと、私は近くの日本人教会に通うようになりました。受洗したもののほとんど聖書を開くことさえなかったのですが、バイブルスタディーと呼ばれるその聖書の学び会が学生に戻った新鮮さも手伝い楽しくてしかたありませんでした。
 御言葉ひとつひとつが私のうちに響き、かれた心に命をふきこんでくれているかのようでした。
 「女がその乳飲み子を忘れて、その腹の子をあわれまないようなことがあろうか。たとい彼らが忘れるようなことがあってもわたしはあなたを忘れることはない。見よ、わたしは、たなごころにあなたを彫り刻んだ。あなたの石垣はつねにわが前にある」       イザヤ49:15〜16

「あなたはわが目に尊く、重んぜられたもの、わたしはあなたを愛するがゆえに、あなたのかわりに人を与え、あなたの命の代わりに民を与える。
恐れるな、わたしはあなたとともにおる」    イザヤ43:4〜5

神様の愛がわかればわかるほど、わたしは、何かに追い詰められていくおもいがしました。
 自分の幸せの設計図のために努力して、がんばって、何が悪いのですか?私自身を主におささげするなんてできません。ゆだねるなんて、できません。
私の前に静かにたたずまれる主にわたしは戦いを挑んでいるかのようでした。
 主よ、あなたは私の一番大切なものをなぜもとめるのですか?将来、私に家庭ができて、子供ができたらそのこどももイサクのようにささげよといわれるのですか?
 また、わたしは、主に交渉をもちかけました。
もし、あなたが、私の願いをききとどけてくださるなら、わたしは僻地の伝道でも何でもします、と。
 両手を広げて佇んでおられる主を前に、わたしはかたくなになっていました。
 教会にも行けず、聖書も開けず、部屋にとじこもる日が続きました。
苦しみにもだえるなか、わたしは、全てを捨ててしまいたい、私自身もふくめすべてを葬ってしまいたいという衝動にかられました。
 主と戦う今の苦しみ、過去の全て、未来の設計図、それらとともに私は十字架にかかろう。
けれど、その十字架は、主、そのものでした。
その十字架の主とともに私は葬られたのでした。
そして同時に私は、主とともによみがえりました。
 心の中でその映像がいまでもありありと思い出せます。
「もし、わたしたちが、彼に結びついてその死の様に等しくなるなら、さらに、彼の復活の様にも等しくなるであろう。・・・わたしたちのうちの古き人はキリストと共に十字架につけられた。それは、この罪の体が滅び私たちがもはや、罪の奴隷となることがないためである」
                    ローマ6:5〜6
全てが新しくされました。空の色も、風のにおいも、太陽の光もきのうとは違うものでした。主は生きておられる、主にわたしは生かされている、そう実感したのでした。
 カナダでの留学生活を終え、私は十年ぶりに倉敷の実家にかえることとなりました。クリスチャンになることに大反対の両親との生活、また、一度は結婚を考えた彼との別れ、様々な不安をかかえての帰国でした。
 「しかし、あなたがたが渡っていってとる地は、山と谷の多い地で、天から降る雨で潤っている。その地はあなたの神、主が顧みられるところで、年の始めから終わりまで、あなたの神、主の目が常にその上にある」
                    申命記10:11〜12
いただいた御言葉を胸に、すべてを主におゆだねしたのでした。
 主は私の人生の責任をとってくださる、全てをお委ねし確信し、お金も、仕事も、何もない生活をはじめることとなりました。
 そのような、生活のなかで主に祈るひと時があるということは、なんという恵みか、と何度も思わされたことです。
その祈りのなかに、主にある出会いがあるように、と祈りつづけていました。私の願いどおりではなく、主の思いがそこにあり私が従えますように、と。 
 その祈りは主人との出会いでかなえられました。
委ねることにより、自分の願う何倍もの恵みを与えてくださる主のすばらしさに感動し、それを経験することによってまた主の確かさを心にきざむことができました。
主人の神様に対する誠実と忠実は、ともすれば不安になりがちな私に代わらぬ安心を与えてくれました。それは何にも代えがたいものでした。また、家庭をもつことにより、私の両親とほどよい距離を保つことができましたし、そして、こどもを育てるなかで、誰もがはじめから立派な親にはなりえないことも日々実感させられます。
 私のかかえてきた問題は、時間と空間的距離と、また、母としての経験が必要だったことを主はご存知だったのです。
 クリスチャンになったから、クリスチャンホームを築けているからといって、決して全ての問題が解決されるわけでもありませんし、苦難からとうざけられるわけでもありません。
 けれども、問題にぶつかるたび、苦難にぶつかるたび、あの時私と共に十字架にかかってくださった、私の主にすべてをお委ねできる恵みを繰り返しあじわえることを心より感謝しています。
 今日はこのような主のみ業をお証しできます機会をありがとうございました。今後とも、何かと足らないことの多いものですが皆様とともに主の恵みを分かち合い、また主を賛美できますこと心より主に期待しています。よろしくお願いします。
2010/11/07
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