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倉敷ホーリネスチャーチメンバー、s,t 兄の証です

キリストと共なる生活

私は両親ともクリスチャンの家庭に生まれました。この世界は神様が創られた事、私たちの罪のためにイエス様が十字架にかかられた事、信じて受け入れれば救われて天国にいける事をいつのまにか当然の事として理解していました。自分の罪について理解し、十字架を受け入れたのはいつ頃かわかりませんが、中学三年生の時洗礼の恵みにあずかりました。

洗礼は受けましたが、多くの過ちを犯し、神様を、家族を悲しませてしまいました。「お前は冷たい、思いやりがない」とよく言われていました。家族にもまわりの人にも冷たい態度で接する事が多く、こんな自分は神様に愛される資格などないと思っていました。

ある時、「キリスト教ってどんなの?」と質問を受けました。そして最後の質問で「クリスチャンのあなたの生きる目的は?」と問われました。私は「クリスチャンは、神様の栄光を現すために存在している。神様を礼拝し、奉仕し、日々の生活で信仰にたつのだ。」と答えました。そして一週間過ぎた頃、同じ質問を別の友人から受けました。同じように私は答えました。答える中、何とも恥ずかしい気持ちでいっぱいになりました。

病気で命が限られている人が身近にいました。しかし私はイエス様の事を話すでもなく、逆に冷たい態度で接してしまいました。その人を良く思っていなかったからです。その方は診断通り、間もなく亡くなられてしまいました。私は取り返しのない事をしてしまったと思いましたが、取り返しがつきません。神様の栄光を現すためのクリスチャンのはずなのに、真逆な態度を取ってしまっていたのです。何度も神様に「赦してください」と祈りましたが平安は訪れる事はありません。神様に見捨てられた思いでいっぱいでした。

まさに主イエス様は、取り返しがつかないほどの罪を受けられ十字架にかかられました。こんな冷たい態度の私であっても、赦されていると気付く事ができたのです。私は未だ完全なクリスチャンではありませんが、何度も私を赦し見捨てられない神様を覚えます。私と共にいてくださる主に感謝し、主と共に生きてまいりたいと思います。
2010/08/01
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