日本ホーリネス教団 〒710-0038岡山県倉敷市新田1299-12 
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2014年度中国教区夏季聖会 T

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2014年7月21日 説教:山脇 正子牧師 教会のページへGO!
10:そしてアブラハムが手を差し伸べ、刃物を執ってその子を殺そうとした時、11:主の使が天から彼を呼んで言った、「アブラハムよ、アブラハムよ」。彼は答えた、「はい、ここにおります」。12:み使が言った、「わらべを手にかけてはならない。また何も彼にしてはならない。あなたの子、あなたのひとり子をさえ、わたしのために惜しまないので、あなたが神を恐れる者であることをわたしは今知った」。
 
【聖書】創世記22章1〜19節 ※『神の恵みに生かされて』
【説教】「聴従の祝福」 
1:これらの事の後、神はアブラハムを試みて彼に言われた、「アブラハムよ」。彼は言った、「ここにおります」。2:神は言われた、「あなたの子、あなたの愛するひとり子イサクを連れてモリヤの地に行き、わたしが示す山で彼を燔祭としてささげなさい」。3:アブラハムは朝はやく起きて、ろばにくらを置き、ふたりの若者と、その子イサクとを連れ、また燔祭のたきぎを割り、立って神が示された所に出かけた。4:三日目に、アブラハムは目をあげて、はるかにその場所を見た。 5:そこでアブラハムは若者たちに言った、「あなたがたは、ろばと一緒にここにいなさい。わたしとわらべは向こうへ行って礼拝し、そののち、あなたがたの所に帰ってきます」。6:アブラハムは燔祭のたきぎを取って、その子イサクに負わせ、手に火と刃物とを執って、ふたり一緒に行った。7:やがてイサクは父アブラハムに言った、「父よ」。彼は答えた、「子よ、わたしはここにいます」。イサクは言った、「火とたきぎとはありますが、燔祭の小羊はどこにありますか」。 8:アブラハムは言った、「子よ、神みずから燔祭の小羊を備えてくださるであろう」。こうしてふたりは一緒に行った。9:彼らが神の示された場所にきたとき、アブラハムはそこに祭壇を築き、たきぎを並べ、その子イサクを縛って祭壇のたきぎの上に載せた。10:そしてアブラハムが手を差し伸べ、刃物を執ってその子を殺そうとした時、11:主の使が天から彼を呼んで言った、「アブラハムよ、アブラハムよ」。彼は答えた、「はい、ここにおります」。12:み使が言った、「わらべを手にかけてはならない。また何も彼にしてはならない。あなたの子、あなたのひとり子をさえ、わたしのために惜しまないので、あなたが神を恐れる者であることをわたしは今知った」。13:この時アブラハムが目をあげて見ると、うしろに、角をやぶに掛けている一頭の雄羊がいた。アブラハムは行ってその雄羊を捕え、それをその子のかわりに燔祭としてささげた。14:それでアブラハムはその所の名をアドナイ・エレと呼んだ。これにより、人々は今日もなお「主の山に備えあり」と言う。15:主の使は再び天からアブラハムを呼んで、16:言った、「主は言われた、『わたしは自分をさして誓う。あなたがこの事をし、あなたの子、あなたのひとり子をも惜しまなかったので、17:わたしは大いにあなたを祝福し、大いにあなたの子孫をふやして、天の星のように、浜べの砂のようにする。あなたの子孫は敵の門を打ち取り、18:また地のもろもろの国民はあなたの子孫によって祝福を得るであろう。あなたがわたしの言葉に従ったからである』」。19:アブラハムは若者たちの所に帰り、みな立って、共にベエルシバへ行った。そしてアブラハムはベエルシバに住んだ。
礼拝式次第
聖会時間 10:30-12:00
   
前奏  
賛美 新聖歌392「主の愛の汝が内に」
開会祈祷  
賛美 新聖歌382「心から願うのは」
聖書 創世記22:1-19
講師紹介  
説教 『聴従の祝福』
 山脇 正子牧師
献金 新聖歌393「献げまつりし」
後奏  
報告  
メッセージ(要約)
主の御名を賛美します。

 アブラハム史上最大の試練の箇所から3つのポイントで語られました。
(1)信仰の試練
22:1 アブラハムの名前を呼ばれる神。深い関係を知る事ができます。そのアブラハムに神は試みられました。何と息子イサクを燔祭に捧げよと。違う訳でここを見ますと、@取れ!愛する子を。A行け!私が示す場所へ。B捧げよ!全焼の燔祭を。
神が示された場所まで3日間を有しました。倉敷と柳原教会ほどの距離でした。

(2)備えてくださる神
22:5 共の者を置き、山へ入るアブラハムとイサク。燔祭用のたきぎ、火を携えて登りますが、肝心の燔祭の羊がありません。二人はぴったりと添い登ります。イサクは燔祭の羊がない事を父に質問し、父は「神自らが備えてくださる」と答えます。イサクは納得できなかったことでしょう。この時イサクは若い20歳くらいの青年、父はすでに老人となっていました。そんな父がイサクを縛り燔祭を焼く台に置きました。逃げようとするなら逃げる事がイサクは出来たでしょうが、父に従ったのでした。斧を振り上げたその時、神が手をかけてはならない。あなたが神を恐れる者である事を今知った、と語りました。

(3)聴従の祝福
22:16 神は燔祭の羊を用意されました。アドナイエレです。神は心を見られ祝福をお与えになられました。
信仰とは、どこまでも神の言に聴き従う事です。時には自らよりも大切なイサクを捧げる決心をしなければならない時があるかもしれません。あなたにとってのイサクは何ですか? それを神に捧げる事はできますか?
どのような時も、神にすがり「はい」と、ただ従う事が出来れば幸いです。

※聖会はユーストリームでご覧いただけます。
http://www.ustream.tv/recorded/50326381

テケテケ
報告と消息
○13:00 〜エノプレ師によるフィリピン宣教報告
○13:30 〜聖会U

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