2004/10/24
ローマ 4:1-7
「信仰の巨人達」
今日の箇所には何度も「義」という言葉があります。これは、ローマ書の中心となる
言葉です。では「義」とはどういうことでしょうか。日本の辞書には、「義」は
「愛」のように、聖書的に具体的には書かれてはいないようです。聖書には「神の国
と神の義を求めなさい。」とありますが、「義」がなんであるか分からなければ求め
ようがありません。そして、現代は神が中心にいない、人間賛歌(神ではなく人を誉
め称えること)の時代であり、「義」を正しくとらえることができないのです。神の
義とは神のものさしです。義に飢え乾いている人は幸いです、と聖書にありますが、
今の日本はむしろ「愛」に飢え乾いているのではないでしょうか?義のない愛は甘え
でしかありません。愛が正しく受け止められるためには、義を正しく受け止めること
が必要です。 今日の箇所には素晴らしい信仰者として二人の人が出てきます。まずアブラハムは、
神様がこの世に救いをもたらすために最初に選ばれた人です。彼は失敗も犯しました
が、主を信じる信仰によって、神様から義と認められました。次にダビデですが、こ
の人は人には言えないような大きな罪を犯しました。しかしダビデは預言者の忠告に
よって神様の前に罪を言い表したので、神様から赦されました。(詩篇32篇)罪を
犯さずにすめばうれしいでしょう。しかしそれ以上に、犯した罪を赦された、その事
はなんと素晴らしいことでしょうか。もちろん罪を奨励しているわけではありませ
ん。 私達にも罪があります。このままでしたら私達が死んで神様の前に立った時、間違い
なく「不義」と判断され滅びの道にいくしかありません。しかし、イエスさまが私達
の罪を身代わりに負って下さったがゆえに、私達は「義」と見なされることが出来る
のです。自分の罪を神様に告白しましょう。そして赦された者として、喜んで歩んで
参りましょう。