メッセージ要約
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teketekeのメッセージ要約です!

2006/08/06
1コリント12:12-26
 「いたわり合う教会」

聖書抜粋:12:26 もし一つの肢体が悩めば、ほかの肢体もみな共に悩み、一つの肢体が尊ばれると、ほかの肢体もみな共に喜ぶ。

 1945年8月6日8時15分、広島に人類初の原子爆弾が投下され、多くの犠牲者が出ました。私の祖父も犠牲となりました。いかなる事があっても、この過ちを二度と起こしてはならないt改めて思いました。犠牲となられました方々の魂が安らかでありますように・・・
 今日のテーマは「教会」です。皆さんは教会と聞いて何を想像されますでしょうか?近所の立派なチャペルを思い浮かべましたか?
まず、「教会」と「教会堂」とは違うという事を覚えてください。「教会」の定義や聖書に記されている事はここで省きますが、2人以上が集まり主を讃美し、祈る。これこそが「教会」です。そしてその「教会」を形成しているのは、クリスチャンである、私、そしてあなたなのです。教会にはいろんな人がやって来ますし、病んでいる人もいます。健康でない人のために教会があるとも言えるからです。「最近、教会のメンバーが私に冷たいな」とか、「私の居場所がないな」など思われている人がもしいるなら、それは自身が冷たいから教会全体が冷たくなるのです。人と人の間に、主イエスがいらっしゃる事を常に思い、互いにいたわり合う事、これが大切です。
 次の質問ですが、「あなたは何ですか?」と聞かれたら何と答えますか?「私は教師です。」「私は、会社員です。」と、何に属しているか答える人が多いと思います。私たちは個人ではありますが、何かに属しています。そしてクリスチャンならば、もう一つ最も重要な場所に属していますね。教会です。私たち一人ひとりはその教会の一部で、だれ一人不必要な人はいないのです。教会あってのあなた、そしてあなたあっての教会なのです。
もし今、教会へ行ってみたいけど、恐怖や不安で行けない人があるなら、既に主なる神があなたに触れられている事、そして既に教会ではあなたの席が用意されている事を覚えてください。教会はすでにあなたを必要としているのです。
 またバプテスマ(洗礼)を受けた者は、立派な教会の「枝」であり、土台でもあります。主により新しくされ(新生)、主の家族として天に記されている事を忘れてはなりません。そこまで主は細かに私たちを愛し、覚えてくださっているのです。教会に集うようになると、いろんな奉仕に遭遇するでしょう。自分がやりたい奉仕が与えられるとは限りませんが、その奉仕を受け入れ精一杯主に捧げる事が大切です。みんなが「私は歌がうたいたいから口(くち)になりたい」と言い出したらどうでしょう。足がないのですから歩く事も、頭がないのですから考える事もできません。すべての人が必要に応じて働く事で、教会が成り立っているのです。
 教会は主にあり一つです。口(あなた)が足(私)を嫌い、「あなたなんかいらない!」と言っても健康な体を維持するためには、すべての枝体が必要なのです。
教会は主にあり、一つ。あなたが教会を作っている事を認識して、自分を愛するように、他の器官(教会員や来会者)を愛してください。そしてもし弱っている部分があるなら、自分を癒すようにその部分(弱っている人)をいたわり、手当をするようにしてください。それこそ、主にあり一つとなった教会そのものだからです。

12:27 あなたがたはキリストのからだであり、ひとりびとりはその肢体である。


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