メッセージ要約
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teketekeのメッセージ要約です!

2006/09/24
Uコリント9:6-15
 「喜んで施す人」

聖書抜粋:9:7 各自は惜しむ心からでなく、また、しいられてでもなく、自ら心で決めたとおりにすべきである。神は喜んで施す人を愛して下さるのである。

<要約>
 コリント人への第二の手紙、8〜9章は「施し」を中心に書かれています。施しの目的は、エルサレムの教会へ援助を行うためでした。パウロはコリントの人々にどのように「施し」を伝えたのでしょう。そして現在の私たちへ何を伝えたかったのでしょうか。
 パウロは神への信仰の深さが施し、献金と直結していると教えています。ただし勘違いしてはなりませんが、多額の献金をしたから信仰深いのではありません。どのような気持ちで捧げたかなのです。同じ金額を捧げても、収入の100分の1を捧げた人と、10分の1を捧げた人では違います。もう一つ付け加えるなら、義務的に捧げた人と、喜んで捧げた人も全く違うのです。
 献金を捧げる時、「惜しむ」気持ちになった事はありませんか?この心がある限り、信仰が強く深いとは言えません。洗礼を受けクリスチャンになると、十一献金を捧げる事が出来ますが(洗礼を受けていなくても可能ですが)、計画的に喜んで捧げておられますでしょうか?
 月定献金を捧げる場合、多くの教会では「専用袋」に金額を記載し捧げますが、これはあくまで神様に捧げるものです。今自分が出来る精一杯の捧げ物ですから捧げる金額が少なくても何ら問題ありません。
「あんまり少なく献金すると、教会会計の人や役員に見られて恥ずかしいな!」何て思って捧げてはなりません。神は隠れた所ですべてをご存じだからです。
 施す事、捧げる事は、お金だけではありません。教会の雑用や音楽奉仕、清掃や食事の準備など、すべてが「施し」です。心から計画をもって捧げてください。
 「惜しむ」気持ちで捧げてはなりません。と先に書きましたが、弱い私たちには「惜しむ心」から逃れる事は難しいのです。しかしその心も神はご存じですから、その心が襲いかかった時、神を呼び求め、気持ちを告白してください。すべてを受けとめ許してくださると思います。
 詩篇112編に、「恵み、施しにより神様から義とされる」とあります。キリストを信じる事により、私たちを義としてくださるとともに、そのキリストさえ私たちにお与えくださったのですから、私たちを顧みないで、施されない事があるはずありません。神様はすべてをご存じで私たちが困る事のないようにしてくださるのです。
 施し、献金(身・時)を行う時は、惜しむ心を持たず、計画し準備して捧げる事が大切な事です。そして捧げたものは全て天に蓄えられ続けるのです。

 ああ我が主よ、我が神よ、御名を讃美いたします。
私たちは喜んで施したいと思っていますが、時として「惜しむ心」が現れるのも事実です。しかし主よその私たちの心もご存じですから感謝いたします。私たちは、あなたから頂き、預かったタラントでので生活をしています。その中で生まれたお金や技術、時を自ら捧げる事が出来るようにしてください。計画的に喜びをもって捧げる事ができるようにしてください。


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