2007/01/14
ルカ5:1-11
「イエスに従う」
聖書抜粋:5:5 シモンは答えて言った、「先生、わたしたちは夜通し働きましたが、何も取れませんでした。しかし、お言葉ですから、網をおろしてみましょう」。
<要約>
最近、家庭内での悲惨な事件が相次ぎとても悲しく思います。物質面では十分満足できる環境にありながら起こっているのです。「幸せな生活」とはいったい何なのでしょうか?
他人から見ると、金や名誉がある人を見ると、「幸せな人だな」と思うかもしれませんが、はたして本当に幸せなのでしょうか?物質の満足は一時的なもので、次から次ぎへと欲望が膨れあがってしまいます。いつまで経っても満足する事などあり得ないのです。
聖書に入りますが、ここにシモン・ペテロ、ヤコブ、ヨハネが主イエスから召命を受けた記事が記されています。場面はゲネサレ湖、漁師であった彼ら(漁のプロ)が、夜通し漁をしましたがまったく魚が捕れません。漁をあきらめて網を洗っている所に主イエスが「沖へこぎ出し、網をおろして漁をしてみなさい」と言われるのです。「プロの私たちが捕れなかったのに、何を素人が言っているのだろう?」と思ったかも知れませんね。しかしシモン・ペテロは舟を沖へ出すのです。大切な事は、「しかし、お言葉ですから、網をおろしてみましょう」と、自らの経験やプライドを捨て従ったところにあるのです。自らの経験や邪魔になるプライドを捨て、主イエスに従う事ができるなら、何と幸いな事でしょうね。
また今、さまざまな人間関係で悩んでいる方もいると思います。例えば「私はちゃんと接しているのに、あの人から一方的に無視される。シカトされている。」「私には直す所などない、相手が悔い改めてくれれば良いのに。」など思っている人はいませんか?
私たちは、自分の罪を隠し、人のせいにするのが得意です。主イエスは、私たちのこんな頑なな心のため十字架にかかられました。たしかに相手が悪い事は解っています。しかし自分も万分の一、罪がある事を知ってください。自分を罵倒する人、無視する人を愛する事ができるなら何と幸いでしょうね。主イエスは、今なお「愛」と「気配り」で私たちに接してくださっています。
苦難な時、「しかし、お言葉ですから」と主イエスに従う事ができるなら幸いです。