メッセージ要約
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teketekeのキリスト教メッセージ要約です!

2007/04/01
ルカ23:32-49
 「主イエスの十字架」

聖書抜粋:23:47 百卒長はこの有様を見て、神をあがめ、「ほんとうに、この人は正しい人であった」と言った。

<要約>

 棕櫚(シュロ)の聖日を迎え、いよいよ次週イースターを迎えることとなりました。
4月は出会いと別れの月でもあります。牧師も例外ではなく、移動される方もいらっしゃいます。牧師も移動に関し、大きなストレスを抱えていると思いますので、暖かくお迎えくださいますようお願い致します。
 人間の一生は長い日とで100年ほどですが、イースターのお祝いは数千年前から伝えられ続けています。そして今、私たちは長い歴史の中で、確かに存在し、後生に伝えて行くのです。イースターは主イエスキリストの復活をお祝いするものですが、なぜ罪のない主が十字架にかかられたのか考え、悔い改める時でもあります。
「でも十字架は私の生まれる2千年も前の事だから関係ない。」と思われている方がいらっしゃるかも知れませんね。しかし神にとっての時間空間は、まず無意味だという事を踏まえて以下をお読み頂ければと思います。
 主イエスは人々の罪を一身にお受けになり、十字架にかかられました。民衆は「十字架にかけよ」と叫びながら、神を見捨てたのです。大切な事は、主イエスを十字架にかけたのは『私』であり、『あなた』だという事を認める事です。「そんな事はない」と思われるかも知れませんが、それほど私たちは罪に鈍感になっているのです。「そう言われても、私の罪なんか、あの人よりましだ」と相対的に罪の度合いを比べ、自分を納得させてしまいます。しかしこれが神とあなたの一対一だったらどうでしょう?人と比べる事は出来ません。その時はじめて自分の罪が解ります。しかしその時は最後の審判ですから、すでに遅く、そうならないように主は自ら十字架にかかられたのです。それでもなお「私に罪はありません」と言う方がいるなら、一対一の主なる神と会話をしてください。自己中心的でかたくなな自分に気付かせてくださると思います。
 また主の十字架は、私のためであり、またあなたの隣人のためでもあります。教会の兄弟姉妹のために、会社や学校での友人のために、主を知らない人のために十字架にかかられたのです。主の望みは、一人も滅びの道を進まない事です。
 イースターを次週に控え、なぜ主が十字架にかかられたのか思い祈るとともに、まだ主を知らない人のために祈り、教会でご一緒にイースターを迎える事が出来たら幸いです。

テケテケ


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