2007/07/01
使徒行伝11:4-18
「異邦人の救い」
聖書抜粋:11:18 人々はこれを聞いて黙ってしまった。それから神をさんびして、「それでは神は、異邦人にも命にいたる悔改めをお与えになったのだ」と言った。
<要約>
ペテロがヨッパの町で祈りの中、「それらをほふって食べなさい」という神の声を3度聞きますが、ペテロは「清くないものを食べる事はできません」と3度拒否してしまいます。3度同じ事を否定する、聖書のどこかにありましたね。そうです、主イエスが十字架にかかられようとするその時、ペテロは3度、主を知らない!と語っています。人間は弱く、また頑なな心を持っているのです。そして神はペテロに「神が清めたものを清くないと言ってはならない。」と答えられています。
次に、コルネリオという献身者の事が記されています。ペテロを家に招きなさいと御使いが語り、コルネリオはその通りにすると、聖霊がくだり満たされました。その体験をしたのは、ペテロを含め7名。一人の思い違いなどでなく、そこにいた7名が聖霊に満たされた事がこの記事から読みとれます。その事を知った律法を重んじる者達が、ユダヤ人以外と食事をするとは何事だ!とクレームを出します。自分達は神から選ばれた特別な者だから、汚れた異邦人と食事をともにする事などあってはならないと主張するのです。
神の御心はどうでしょう?
ペテロに示された食事も、異邦人であるコルネリオも、神によって清くされているのです。全ての人が救いを受ける事ができるようになさっておられるのです。
私たちのまわりには、「あの人」は気に入らないな。と思う人もいるでしょう。しかし神は偏り見られる事はされません。そして勘違いしてはならないのは、「あの人」とは今頭に浮かんだ人ではなく、「あなた自身」の事だという事に気付かなくてはなりません。私たちは、人の悪い所は良く見え、自分のいたらなさは見えないのです。
神は救いに預かる人を限定されません。それは私たちアジアに住む日本人にとっても大きな福音なのです。
テケテケ