メッセージ要約
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teketekeのキリスト教メッセージ要約です!

2007/09/02
ローマ14:1-9
 「主のために生きる」

聖書抜粋:14:8 わたしたちは、生きるのも主のために生き、死ぬのも主のために死ぬ。だから、生きるにしても死ぬにしても、わたしたちは主のものなのである。

<要約>

 パウロは「生きる事はキリストだ!」と語っていますが、クリスチャンである私たちも既にキリストのものとされ、生かされている事を心に留めなくてはなりません。
聖書に入りますが、ローマの諸教会へ宛て書かれたものですが、どうも読み進めると信徒の交わりがうまく行っていなかったようですね。人を批評し、話を聞かず、受け入れない。自分が正しく相手が間違っていると決めつけ、相手を正そうと批評していたようです。
パウロは、自己中心的な考えを持たず、相手を受け入れなさいと教えています。自分の思いと違っていたとしても、無視したり批評したり、区別したりしてはならないのです。
 理屈では解っているつもりですが、自分と違う意見を受け容れる事は容易ではありません。ではどうすれば出来るのでしょうか?
結論は、『愛』をもって接する事です。

 かと言って、敬虔なクリスチャンと思っている人ほど、中途半端と見えるクリスチャンに対して、言葉に出さずとも裁いたり、無視したりしているのではないでしょうか。
例えば、クリスチャンなのに、酒を飲む、タバコを吸う、暴飲暴食する、また肉を食べず野菜しか食べない・・・
特に、してはならない事と自分で決まりを作ってしまっている、いわゆる信仰の弱い人は、つい裁いてしまうのです。自分はこれを守る!事によってあたかもキリスト者であるように錯覚してしまうのです。
これがエスカレートすると、誰が何をどれだけ守っているかランクをつけてしまいます。「A兄は酒もタバコも飲まない素晴らしい信徒」とか「B姉はとんでもないクリスチャンだ」などとクリスチャンとは思えない思いや行動を取ってしまうのです。
さらに進むと、「教会に行くとあの人から意見されるから行かない」と自宅で主と交わろうとします。信徒の交わりを無視し、自分勝手な祈りとなり間違った方へと進んで行くのです。

 そうならないように!とパウロは私たちに警鐘を鳴らします。教会はいろんな考えの人が集まる所ですから、自分の考えを押しつける事など出来ません。まず相手の意見を自分のものと受け入れ、自分は何のために生かされているのか考える必要があります。それでも相手を受け入れる事ができない人がいるなら、真剣に心を主に渡し自分を変えてくださるように祈り求めてください。間違いなく、そう思うあなたがズレているのですから。

 何のために生きるのか?
 私たちの答えは「主のために生きる。」これこそ私たちの唯一のなぐさめなのです。


テケテケ


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