メッセージ要約
Home Back

teketekeのキリスト教メッセージ要約です!

2008/02/17
ヨハネ9:35-41
 「見えるようになる」

聖書抜粋:9:39 そこでイエスは言われた、「わたしがこの世にきたのは、さばくためである。すなわち、見えない人たちが見えるようになり、見える人たちが見えないようになるためである」。

<要約>

 この箇所は、目の見えない者が主イエスに癒され見えるようになり、会堂で人々に話していた所、パリサイ人たちによって外へ追い出されてしました。そこへ主イエスが彼に会い語られます。癒された者は「主よ、信じます」と告白します。そこへパリサイ人たちが主イエスに「私たちも盲人なのか?」と問い、主は「盲人であれば罪はない。見えると言い張る所に罪がある」と語られた場面です。

 重要なポイントは癒された者が話した「信じます」と、パリサイ人の真実の神を見ているのに見ていない、しかし神を見ていると言い張る所です。素直に信じた者と、実際は盲目なのに見えると言い張る者とに二局しています。

 「主イエスを信じているのに、この盲人のように癒されない」、「自分の暮らしは全く変わらない」と思ったりしていませんか?祈りの中で反省しますが、それに慣れてしまってはいませんか?祈りが叶わない時、自分勝手な解決の時を決め、祈りを継続しても意味がないなどと思った事はありませんか?
マイナスのループに陥ると、祈るたびに落ち込んでしまいます。大切な事は、主イエスにすべて委ね祈る事実、主を見続ける事です。例えば植木鉢の小さな木を地面に植える際、根が伸びたかな?と毎日毎日掘り起こしていたら(祈りの確認)どうなるでしょう。根はくさってしまいます。じっくりと信じ続ける事が大切なのです。

 盲目の者は、主イエスキリストを信じ目が開かれました。あなたの目は見えていますか、心の目の事です。パリサイ人は肉の目は見えていましたが、本物を見抜く心の目が閉ざされていました。今までの経験や決め事だけが正しく、それ以外を認める事が出来ない、かたくなな心のままだったのです。

 主イエスキリストは、この盲人に話されたように、あなた一人に語られています。
礼拝堂の中央を見ても何も見えません。が、目を閉じて心で見てください。主が中央に立っておられるのを見る事が出来るかもしれません。主を見つめる時、あなたに信じる心が生まれ、そして信仰が与えられる事でしょう。

テケテケ


キリスト教関連書籍

teketekeへメール

Home Back