メッセージ要約
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teketekeのキリスト教メッセージ要約です!

2008/10/12
使徒6:1-7
 「神のみ業の伸展Y」

聖書抜粋:6:7 こうして神の言は、ますますひろまり、エルサレムにおける弟子の数が、非常にふえていき、祭司たちも多数、信仰を受けいれるようになった。

<要約>

初代教会の歴史を"ルカによる福音書"を書いた、ルカという人が書いたのですが、歴史を書く方法に2通りあります。実際に起こった出来事を順を追って書いていくということ、もうひとつの方法は、窓を開けて見た景色を書いたように、ある時代の素晴らしい瞬間や人物を生々しく描き出す方法があります。この使徒行伝は、窓を開けて見たものを書いているのです。今日のところはどんな窓を開けたのでしょう。今日の説教題である7節には、「こうして・・・」とあります。C・H・ターナーは、使徒行伝には、"こうして"という言葉が6つあるといいましたが、7節の"こうして"が、そのひとつめの言葉です。聖書では度々迫害が起こりますが、それは神の恵みが広がっていくチャンスでもあります。今日読んだ箇所には4つのことが記されています。

@ エルサレム教会の現状
弟子達の人数が増えてきた、とあります。最初は120人だけでしたが、2章41節では、「その日仲間に加わった者が三千人ほどあった」と書かれており、さらに4章4節では、男だけで、五千人の人が信じた、とあります。女性達も入れるともっと多かったことでしょう。すでに弟子は1万人を超えていたと思われます。そして、ギリシヤ語やヘブル語など、話している言葉が違うことから、様々な文化背景を持った方がいたようです。言葉や文化が違うと、お互いを理解するのにも大変だったと思います。やもめ達が"おろそかにされた"というのは、行き届かなかったということです。
A エルサレム教会はどうしたか
さて、十二弟子はどうしたでしょうか?今まで、ペテロやヨハネなど固有名詞だった弟子達のことを「十二使徒は」と書いてあります。十二人が心を一つにしたことがわかります。「自分達が食卓のことに携わるのはおもしろくない」とありますが、おもしろくないという言葉は、別の訳では、ふさわしくない、好ましくないとも訳されています。十二弟子には祈りと御言葉を伝えるという大切なご用があったのです。
B エルサレム教会はどのようにそれを解決したか 
問題があることは問題ではありません。なぜならば、問題が起こったと言うことは、私たちの人生にこれからなにか素晴らしいことが起こるということなのです。成長のチャンスなのです。問題が起こった時それをどう解決するかは私たちの手の中にあります。エルサレム教会も危機は転機であるという経験をしたのではないでしょうか?
弟子達は働きの分担をするために、7人の役員を選出しました。祈りと御言葉に専念する弟子達と、給仕や他の用事をするグループに分けたのです。どちらの奉仕も同じ神様から託された働きです。働きの分担には上下はないのです。
役員の選出にあたっての資格が5つありました。"あなた方(エルサレム教会の人)の中から""聖霊に満たされた人""知恵に満ちた人""評判の良い人(周囲の人に信頼されている人)""弟子達に按手(手を置いて祈る)される人"です。按手とは使徒職の継承です。
C エルサレム教会はどのようになったか
「こうして神の言は、ますますひろまり・・・」と聖書にありますが、こうして役割を分担することによって、聖書の神の言が広がりました。エルサレムにおける弟子の数が増えていっただけでなく、今までは弟子達を迫害する立場だった祭司たちも多数信仰を受け入れました。これは大変なことです。神の言葉が大事にされ、伝達することに心を注ぎ、役割を分担していったその時に、なにが起こったか。自分達の仲間も増えたが、反対していた人達まで信仰を持つようになりました。教会に神の言葉が委ねられています。神の言葉のご用に仕える者と、他のご用をする者との分担の中で、神様の意志と私たちの意志がひとつになった時、すなわち御心に従う時、このような素晴らしいみ業が起こるのです。


keiko


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