2009/01/25
ローマ5:12-17
「満ちあふれている神の恵み」
聖書抜粋:5:17 もし、ひとりの罪過によって、そのひとりをとおして死が支配するに至ったとすれば、まして、あふれるばかりの恵みと義の賜物とを受けている者たちは、ひとりのイエス・キリストをとおし、いのちにあって、さらに力強く支配するはずではないか。
<要約>
100年に一度とも言われる不況の中ですが、実は主なる神様により恵みの中に生かされ、豊に満ち溢れているのです。一人の人(アダム)により罪が入りましたが、一人の人(主イエス・キリスト)により罪が取り去られ、溢れる恵みが私たちに与えられています。
満ち溢れる。英語の聖書には「Overflow」と記されています。
コリント人への第二の手紙から、見てまいります。
1:5 「それは、キリストの苦難がわたしたちに満ちあふれているように、わたしたちの受ける慰めもまた、キリストによって満ちあふれているからである。」
苦しい中ですが、それにも増してキリストの慰め、恵みが満ち溢れています。
4:15 「すべてのことは、あなたがたの益であって、恵みがますます多くの人に増し加わるにつれ、感謝が満ちあふれて、神の栄光となるのである。」
経済的に苦しんでいる方がおられます。また病の中にいる方もおられます。そして不安の中に生きる私たち。不満をあげれば山ほどにもなる事でしょう。難しい事とは思いますが、その中にあっても主に守られ全てに感謝して受け止める事ができるなら何と幸いな事でしょう。
8:2 「すなわち、彼らは、患難のために激しい試練をうけたが、その満ちあふれる喜びは、極度の貧しさにもかかわらず、あふれ出て惜しみなく施す富となったのである。」
極度の貧しさにありながら、施しがあふれ出ています。外ではなく、内なる心の中には恵みが満ち溢れていました。金額の大小ではないのです。
10数年前ですが、施設に預けられた女の子に算数を教えていました。10円玉、50円玉、100円玉で一番優れていて高いのはどれ?
と先生が質問します。少女は「10円玉」と何度聞いても答えます。不思議に思った先生は少女に「どうして?」と質問します。すると少女は・・・
「公衆電話で遠く離れた母の暖かさ、声を聞けるのは10円玉。だからどのお金よりも一番です。」と答えたそうです。
自分の生い立ちを悔やんだり、嘆く事はいくらでも出来るでしょう。しかし少女はその中にあっても生かされている恵みを受け理解していたのではと思います。
一人の人により罪が入り、一人の人により罪から解放され溢れんばかりの恵みの中に生かされています。ぜひ主イエス・キリストを信じる信仰により、罪の支配から解放され溢れる恵みを受けられますよう祈ります。
テケテケ