メッセージ要約
Home Back

teketekeのキリスト教メッセージ要約です!

2009/04/05
ローマ8:1-11
 「生命と平和の支配」

聖書抜粋:1:こういうわけで、今やキリスト・イエスにある者は罪に定められることがない。2:なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の法則は、罪と死との法則からあなたを解放したからである。

<要約>

キリスト教にとって特に大切な日が4つあります。(1)クリスマス (2)イースター (3)ペンテコステ (4)再臨です。
受難週に入り、次週はイースター(復活)礼拝が開かれ、主イエスの復活をお祝いさせて頂きます。ぜひお近くのキリスト教会でイースター礼拝に出席されてみてはいかがでしょうか。

パウロは目が開かれる前の自分を『死の体』すなわち死人と自分がつながれたようだとたとえています。私たちもある意味、同じだと思います。7章には律法、掟について記されていますが、それに雁字搦め(がんじがらめ)になり、まさに『死の体』となってしまっていました。
しかし8章の冒頭に『・・・今や』とありますように、今主イエスキリストにより死から解放されているのです。今この要約をお読みの皆様、まさに『今』が人生の切り替え時、チャンスの時、またチェンジの時だと思います。

ヨハネ伝8章に、姦淫の女が現場で取り押さえられ、まさに今、石打ちの刑にされようとする場面が記されています。主イエスが律法をどう説明しその女を救うのか試そうとしています。女のまわりには石を持ち構えている者が多くいましたが、主イエスはしゃがみ、女と同じ目線で語られます。そして取り囲んだ者に「まず罪のない完全な者から石を投げなさい」と語られます。その後静寂が包み込み、石を落とす音、そしてそこを去る者の足音が聞こえます。罪のない者、完全な者など、あの方以外には存在しないのです。万一、石を投げる者がいたとしたら、主イエスは女の盾となり守られたのではと思います。それほど、逃れのない者を自らが盾となり守ってくださるのです。本来女(私たち)が受ける罰を受けてくださる主。それにより律法の支配から解放され、今救いがあるのです。

詩篇にダビデが過ちを犯した時の祈りが記されていますが、ダビデが求めた霊(新しく正しい霊、聖なる霊、自由の霊)そのものがキリストの霊なのです。

もし今、苦しみもがいている方がおられるなら、ぜひ今チェンジしキリスト・イエスにある者とされますように。死の苦しみから解放され、生命と平和の支配がありますよう祈ります。


テケテケ


キリスト教関連書籍

teketekeへメール

Home Back