2010/06/06
マルコ5:35-43
「生命によみがえる時を待つ」
聖書抜粋:36:イエスはその話している言葉を聞き流して、会堂司に言われた、「恐れることはない。ただ信じなさい」。
<要約>
主の御名を賛美します。
今年も召天者記念礼拝を開く事ができ感謝です。この教会では二名の方を天にお送りし、ご家族とともに礼拝を守る事ができました。
聖書に入りますが、会堂司の12才の娘が重病となっていて、何とか主イエスに癒して頂こうと少女の所へ向かっていました。そこへ少女が亡くなったと連絡が入ります。会堂司はもはや主イエスをわすらわす事に及ばないと伝えます。それをお聞きになった主は以下3つの言葉を語られました。
(1)5:36 「恐れることはない。ただ信じなさい」
死んでしまったのに、何を信じろと言うのだろう?
会堂司は主なら重病の娘を癒してくださる。と信じたのです。しかし心臓が止まってしまった今となっては信じる必要がなくなったのです。しかしそれでも主は「恐れることはない。ただ信じなさい」と語られます。心臓が動いていようが止まっていようが、ただ信ぜよと。後に娘は主により命を得ますが、今を生きる私たちはこの世の旅人で、この世の生涯がすべてではないのです。
(2)5:39 「なぜ泣き騒いでいるのか。子供は死んだのではない。眠っているだけである」
表現を変えると、「泣いてはならない、娘は眠っているだけなのだから」。眠っている時は、場所・時間・現実から解放されます。主は眠っている時でさえ、私たちのため神にとりなして下さっているのです。
(3)5:41 、「少女よ、さあ、起きなさい」
タリタ、クミと語られ少女に「起きなさい」と語られ、少女は眠りからさめました。
主により、瞬く間に朽ちない者として変えられ、起こされ永遠の命を得るのです。
「信じ」「泣かず」「起きる」
これは、「過去」「現在」「未来」なのです。将来起きる者として私たちは一瞬にて変えられるのです。主の約束を信じる者として今を生きる事ができるなら何と幸いな事でしょう。
今週も主とともに、素晴らしい日をお過ごしください。
テケテケ