2010/09/19
創世記39:1-6 19-23
「ヨセフと共におられる神」
聖書抜粋:2:主がヨセフと共におられたので、彼は幸運な者となり、その主人エジプトびとの家におった。
<要約>
主の御名を賛美します。
兄たちのねたみなどにより、17才で売られてしまったヨセフ。そしてエジプトへと連れられて行きました。神は幸福とも不幸とも手を結ばれるのです(ボンフェッファー)。
本日の聖書箇所より以下3つの観点から見てまいります。
(1)奴隷となったヨセフ
39:1 侍従長ポテパルに売られたヨセフでしたが、いつも主が共におられました。ヨセフのゆえにまわりが祝福されたのです。一人の存在は小さいものですが、その一人がどうあるかが大切なのです。プテパルはヨセフと神が共におられるのを見ていました。奴隷にあっても美しいヨセフでした。
(2)罪を犯さなかったヨセフ
39:7 聖書は「これらの事の後」と記していますが、ヨセフ20才頃の事です。主人ポテパルの妻があろうことか、ヨセフを誘惑します。それも毎日毎日。ヨセフは神に罪を犯す事など出来ず、きっぱりと誘惑の試練を断りました。逆上した妻はヨセフを陥れてしまいます。
(3)投獄されたヨセフ
39:19 一方的な妻の訴えで激怒し屋敷内の獄屋へヨセフを閉じこめる主人ポテパル。殺される可能性もありましたが、そこでもなお主が共におられました。最悪の時、神に委ねきる事ができれば幸いです。
主がヨセフと共におられたように、私たち一人ひとりと共にいてくださいますように。私たちを通して神様の祝福を伝える事ができますように用いてください。
どんな時でも共にいてくださる主に感謝いたします。
季節の変わり目です。ご自愛ください。
テケテケ