第4回 三多摩地区
新年聖会(午前の部)〜「神に近づきなさい」〜 |
〒182-0024東京都調布市布田1−24−2 電話:0424−83−0619 IP:050−3420−1114 場所:場所:東京聖書学院チャペル |
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2005年1月10日 | 説教:小林和夫師 |
【聖書】ローマ人への手紙 5章12〜21節 【説教】「神の作品としてのクリスチャン」 |
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2:1 さてあなたがたは、先には自分の罪過と罪とによって死んでいた者であって、2:2 かつてはそれらの中で、この世のならわしに従い、空中の権をもつ君、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って、歩いていたのである。2:3 また、わたしたちもみな、かつては彼らの中にいて、肉の欲に従って日を過ごし、肉とその思いとの欲するままを行い、ほかの人々と同じく、生れながらの怒りの子であった。2:4 しかるに、あわれみに富む神は、わたしたちを愛して下さったその大きな愛をもって、2:5 罪過によって死んでいたわたしたちを、キリストと共に生かし――あなたがたの救われたのは、恵みによるのである――2:6 キリスト・イエスにあって、共によみがえらせ、共に天上で座につかせて下さったのである。2:7 それは、キリスト・イエスにあってわたしたちに賜わった慈愛による神の恵みの絶大な富を、きたるべき世々に示すためであった。2:8 あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。2:9 決して行いによるのではない。それは、だれも誇ることがないためなのである。2:10 わたしたちは神の作品であって、良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのである。神は、わたしたちが、良い行いをして日を過ごすようにと、あらかじめ備えて下さったのである。 | ||||||||||||||||||||||||||||
メッセージ(要約) | |||||||||||||||||||||||||||||
主の御名を賛美します。 クリスチャンについていろんな表現がされていますが、エペソでは「神の作品」と表現されています。以下の3つのポイントで掘り下げて見てみましょう。 @作品の材料 A作者の目的とは Bどう生きるか まずは最初から・・・ @作品の材料 芸術家が自分の魂を打ち込み作品を作る時、自分の納得する材料をとことん選びます。しかし、神は逆で、どうしようもない私達を素材としてお選びになりました。なぜでしょう?神はこのどうしようもない私達を素材とされ、作品が完成する事によって神の栄光が現れるご計画をなされたのです。またパウロはこの事を私達とは言わず『教会』と表現しています。 A作者の目的 罪のかたまりである私達のために主イエス・キリストは身代わりとなり十字架にかかられました。そしてその血により私達のすべての罪が洗われ消え去りました。神の想いは新しく生まれ変わった私達が良い行いをするためになされたのです。 B生き方 ここでは『共に』と『あって』の記載の意味について考えてまいります。 まず『共に』ですが、主イエスと合体していなくてはならないという事です。すなわち洗礼の恵みを言っています。死んでいたも同然な者が生まれ変わったのです。 つぎに『あって』ですが、ズバリ「イン クライスト」。キリストが私のうちに住んでいるという事です。これこそ『聖め』すなわちホーリネスの中心なのです。 私達は神により目的をもって作り変えられました。キリストと共に生き、キリストをお迎えした生き方が重要なのです。 テケテケ |
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