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2005年5月1日 | 説教:荒井 道夫牧師 教会のページへGO! |
【聖書】ローマ人への手紙8章31〜39節 【説教】「勝ち得て余りあり」 |
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8:31 それでは、これらの事について、なんと言おうか。もし、神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵し得ようか。8:32 ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、どうして、御子のみならず万物をも賜わらないことがあろうか。8:33 だれが、神の選ばれた者たちを訴えるのか。神は彼らを義とされるのである。8:34 だれが、わたしたちを罪に定めるのか。キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえって、神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなして下さるのである。8:35 だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのか。患難か、苦悩か、迫害か、飢えか、裸か、危難か、剣か。8:36 「わたしたちはあなたのために終日、/死に定められており、/ほふられる羊のように見られている」/と書いてあるとおりである。8:37 しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、わたしたちは、これらすべての事において勝ち得て余りがある。8:38 わたしは確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、8:39 高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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メッセージ(要約) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
主の御名を賛美します。 ローマ人への手紙8章はちょうどこの手紙の半分で、区切りの章でもあります。特に8章は、これ以上主イエス・キリストを讃える事はないほど讃えている箇所です。 ローマ1:17には「信仰による義人は生きる」と、この手紙の要約が記されています。(ハバクク2:4にも同様の記事が記されています。) ローマ1:18には、前節とは逆に信仰に生きない者に対し、神の怒りがどのようになるのか啓示されています。 この箇所に話を戻しますが、8:31からはヨハネ16:33「わたしはすでに世に勝っている」の言葉を受け、主イエスに対し讃美とも言ってよいほどの表現がされています。 またこの箇所には4つ「だれが」と記されています。それを順に確認してみます。 @8:31「だれがわたしたちに敵し得ようか」 死に勝たれた主イエスに適する者などいない事。 A8:33「だれが、神の選ばれた者たちを訴えるのか」 パウロは何度となくユダヤ人から訴えられましたが、神はパウロを義とされました。すべて主イエス・キリストの恵みなのです。 B8:34「だれが、わたしたちを罪に定めるのか」 全く罪の無いイエスがポンテオピラトにより結果的に有罪とされてしまいました。しかし私たちは罪を告白する事により、原罪からをも罪から解放してくださっています。 C8:35「だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのか」 患難や苦悩など、理由はありますが結論は、キリストの愛から離れることは永遠の滅びを招く事となります。 さまざまな滅びに導く要因が私たちを襲って来ます。しかし何も心配する事はありません。全てを主に依り頼んでください。主は既に死に勝ってくださり、その主がいつも私たちと共にいて下さっているのです。 テケテケ |
報告と消息 |
礼拝終了後、各部会が開かれました。 |