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2005年5月22日 説教:荒井 道夫牧師 教会のページへGO!
3:16 神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。
 
【聖書】ヨハネによる福音書3章1〜16節
【説教】「新生の福音(1)」
3:1 パリサイ人のひとりで、その名をニコデモというユダヤ人の指導者があった。3:2 この人が夜イエスのもとにきて言った、「先生、わたしたちはあなたが神からこられた教師であることを知っています。神がご一緒でないなら、あなたがなさっておられるようなしるしは、だれにもできはしません」。3:3 イエスは答えて言われた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」。3:4 ニコデモは言った、「人は年をとってから生れることが、どうしてできますか。もう一度、母の胎にはいって生れることができましょうか」。3:5 イエスは答えられた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも、水と霊とから生れなければ、神の国にはいることはできない。3:6 肉から生れる者は肉であり、霊から生れる者は霊である。3:7 あなたがたは新しく生れなければならないと、わたしが言ったからとて、不思議に思うには及ばない。3:8 風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない。霊から生れる者もみな、それと同じである」。3:9 ニコデモはイエスに答えて言った、「どうして、そんなことがあり得ましょうか」。3:10 イエスは彼に答えて言われた、「あなたはイスラエルの教師でありながら、これぐらいのことがわからないのか。3:11 よくよく言っておく。わたしたちは自分の知っていることを語り、また自分の見たことをあかししているのに、あなたがたはわたしたちのあかしを受けいれない。3:12 わたしが地上のことを語っているのに、あなたがたが信じないならば、天上のことを語った場合、どうしてそれを信じるだろうか。3:13 天から下ってきた者、すなわち人の子のほかには、だれも天に上った者はない。3:14 そして、ちょうどモーセが荒野でへびを上げたように、人の子もまた上げられなければならない。3:15 それは彼を信じる者が、すべて永遠の命を得るためである」。3:16 神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。
礼拝式次第
ワーシップ(歌) 今週はありません
礼拝時間 @09:00-10:00
A11:00-12:15
   
前奏  
頌栄 新聖歌60
主の祈り 新聖歌(p826)
開会祈祷  
賛美 新聖歌38
交読 新聖歌12(p838)
今月の賛美 「約束された慰め主」
使徒信条 新聖歌(p826)
今週の聖句 ヨハネ3:3
聖書 ヨハネ3:1-16
説教 『新生の福音(1)』
  荒井 道夫牧師
一斉祈祷  
献金 新聖歌448
報告  
感謝祈祷  
頌栄 新聖歌63
祝祷  
後奏  
愛餐会 ※第一聖日に実施
メッセージ(要約)
主の御名を賛美します。

「新生」・・・罪を悔い改めて、イエス・キリストの十字架と復活を信じ、新しく生まれ変わること。

今週からホーリネスの「四重の福音」について見てまいります。最初は「新生」を紐解いてまいます。

3:3に、主イエスはパリサイの教師でもあるニコデモに「だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」とのべられています。ニコデモは賢者で知識も多く持っていたことでしょう。それが「神の国」を遠ざけているのです。
主イエスが「新生」を語られたのは肉的な誕生ではなく、霊的な誕生の事です。2時限的な、「ここから(今この時から)」心をかえるとかではなく、時を超えた垂直の神との関係が生まれる事なのです。
私たちは神に似たものとして創られましたが、その主なる神をあがめ認めようとしない人々も多く存在しています。
それではどうすれば良いのでしょうか?霊による誕生は全く神から与えられるものです。自分の力で勝ち取るものではなく、ただただ「受け入れる」ことなのです。サタンによる知識の妨害で受け入れを拒否してはなりません。

「新生」以下3つの観点から見ていきます。
(1)天の父からの新生
3:16に、天の父がどれほど私たちを愛してくださっているかが記されています。これが父なる神の御心なのですが、罪に犯されている人間は神を覚えず、恐れを抱きません。何ということでしょう。ただただ滅びの道を行く事になりますが、父なる神の御心ではありません。
(2)主イエスによる新生
3:14に、人の子(主イエス)が上げられなければならない。と記されています。(民数記21ではモーセが荒野でヘビを上げられ、神の怒りから救われた。)「そんな事で救われるものか!」と疑った者は滅び、受け入れた者は救われたのです。
(3)聖霊による新生
3:7-8に、霊から生まれる者が記されています。聖霊を風にたとえられ、どこから来てどこへ行くか誰もしらないと言われています。もっともな事です。知識ある人は目に見えないものを認めようとしない傾向があります。それはまったく的外れ(これこそ罪)なのです。
霊が風と違う点は、信じるものに降りてくださる事です。ペンテコステは200年前の歴史上の出来事ではなく、今も後も起こっているのです。
私たち罪人に、天の父・主なるイエス・聖霊の神が望み語ってくださっています。ただただ受け入れてください。信じてください。必ずそこに「新生」があります。

テケテケ
報告と消息
第一・第二礼拝の間に教会総会が開催されました。

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