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2005年6月19日 | 説教:荒井 道夫牧師 教会のページへGO! |
【聖書】詩篇46篇1〜11節 【説教】「武器を捨てて」 |
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46:1 神はわれらの避け所また力である。悩める時のいと近き助けである。46:2 このゆえに、たとい地は変り、山は海の真中に移るとも、われらは恐れない。46:3 たといその水は鳴りとどろき、あわだつとも、そのさわぎによって山は震え動くとも、われらは恐れない。〔セラ 46:4 一つの川がある。その流れは神の都を喜ばせ、いと高き者の聖なるすまいを喜ばせる。46:5 神がその中におられるので、都はゆるがない。神は朝はやく、これを助けられる。46:6 もろもろの民は騒ぎたち、もろもろの国は揺れ動く、神がその声を出されると地は溶ける。46:7 万軍の主はわれらと共におられる、ヤコブの神はわれらの避け所である。〔セラ 46:8 来て、主のみわざを見よ、主は驚くべきことを地に行われた。46:9 主は地のはてまでも戦いをやめさせ、弓を折り、やりを断ち、戦車を火で焼かれる。46:10 「静まって、わたしこそ神であることを知れ。わたしはもろもろの国民のうちにあがめられ、全地にあがめられる」。46:11 万軍の主はわれらと共におられる、ヤコブの神はわれらの避け所である。〔セラ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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メッセージ(要約) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
主の御名を讃美いたします。 本日は伝道礼拝で、神と私たちとの関係について荒井牧師がメッセージを語られました。 まず、この詩篇で気づくことは、「セラ」で3つに分けられる事です。「セラ」とは休息、息つぎなどと訳されています。それでは文節毎に御言葉をみて行きますが、登場する各否定語に素晴らしい救いがあるのです。 @46:1-4 「恐れない」 A46:4-7 「揺るがない」 B46:8-11 「静まって」 「静まって」がどうして否定語なの?と思われるでしょうが、これは止める事、力を捨てる事、自分を守る武器、相手を攻撃する武器を全て捨てよと言われています。また武器とは単なる目に見えるものだけではなく、口から発せられる言葉も含まれています。 聖書の別の箇所を見ますと・・・ ローマ12:19に復讐は神がするもの怒りは神に委ねよ 出エジプト14:13に主が戦われるから黙していなさい 神は回復出来ない試練にあわされる事はありません。完全に神の御業により救われるのです。 日本では年間約3万人にも及ぶ方が自殺しています。自殺しようと考えた事がある人となるとその10倍にも100倍にも及ぶでしょう。原因は経済的理由や肉体的理由などがありますが、自分は間違っていないにもかかわらず苦しみを受けたり、責任を取らされたりする事もあるでしょう。 主イエスキリストは、全く罪なき方でした。罰せられる事など皆無な方が十字架にかかられ死なれたのです。 では、そんな理不尽な世の中でどうして「恐れない」「揺るがない」「静まって」など出来る事など人間的に考えるとありません。しかし、神が私とともにここにおられ、守ってくださっているのです。神様だけが私たちを助けて下さるのです。武器をすて、明るく主なる神と生きてください。 テケテケ |
報告と消息 |
本日は伝道礼拝が開催されました。 |