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2005年11月13日 | 説教:荒井道夫牧師 教会のページへGO! |
【聖書】マルコによる福音書5章35〜43節 【説教】「少女よ起きなさい」 |
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5:35 イエスが、まだ話しておられるうちに、会堂司の家から人々がきて言った、「あなたの娘はなくなりました。このうえ、先生を煩わすには及びますまい」。 5:36 イエスはその話している言葉を聞き流して、会堂司に言われた、「恐れることはない。ただ信じなさい」。5:37そしてペテロ、ヤコブ、ヤコブの兄弟ヨハネのほかは、ついて来ることを、だれにもお許しにならなかった。5:38 彼らが会堂司の家に着くと、イエスは人々が大声で泣いたり、叫んだりして、騒いでいるのをごらんになり、5:39 内にはいって、彼らに言われた、「なぜ泣き騒いでいるのか。子供は死んだのではない。眠っているだけである」。5:40 人々はイエスをあざ笑った。しかし、イエスはみんなの者を外に出し、子供の父母と供の者たちだけを連れて、子供のいる所にはいって行かれた。5:41 そして子供の手を取って、「タリタ、クミ」と言われた。それは、「少女よ、さあ、起きなさい」という意味である。5:42 すると、少女はすぐに起き上がって、歩き出した。十二歳にもなっていたからである。彼らはたちまち非常な驚きに打たれた。5:43 イエスは、だれにもこの事を知らすなと、きびしく彼らに命じ、また、少女に食物を与えるようにと言われた。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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メッセージ(要約) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
主の御名を賛美します。 本日はファミリー礼拝で幼児祝福式が行われました。「Family」をある人は「Fa」・・・ファーザー、「m」・・・マザー、「ly」・・・アイラブユーと言われたとの事。良く的を得た表現だと思います。 天国について話される時、子供がよく登場します。子供は親を信じきります。そのように素直な気持ちでないと御国に入る事はむつかしいと聖書は語っているのです。 聖書に入りますが、会堂を守っている家に起こった出来事です。何の病か解りませんが、その娘が死にかかっています。そして悲しい知らせ「娘は死にました」と伝えられました。その報告を受けた父は主イエスに「もう娘は死にましたから先生の手を煩わす事もありません」と伝えるのです。娘の父は訃報を聞き、弱く弱くなっていました。それを聞かれた主は「恐れる事はない、ただ信じなさい」と何と幸いな言葉をかけられたのです。 「死んで」しまった娘のもとに主は来られ「娘は眠っているのだ」と人々に語られ、それを聞いた人々は、あざ笑うのです。主は娘に「タリタ・クミ(起きなさい)」と命令されました。そして眠っていた娘は起きあがったのです。 後に主は、私たちの罪を一身に受けられ本当に死んでくださり、そしてよみがえられました。これは物語ではなく、2000年前の事実と受け止め、恐れずただ主を信じてください。 新聖歌505番「主われを愛す」の歌詞ですが、主我を愛す、主は強ければ、我弱くとも、恐れはあらじとあります。私たちは弱い弱い者です。強がっていても無駄なのです、弱いのですから。それを認め、すべてを主に委ねる事、これが大切な事なのです。 テケテケ |
報告と消息 |
○12:30〜各部会 ○19:00〜夕拝 |