日本ホーリネス教団 〒710-0038岡山県倉敷市新田1299-12 
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倉敷ホーリネスチャーチ

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2006年9月10日 説教:岡野 智牧師 教会のページへGO!
13:13 このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。
 
【聖書】コリント人への第一の手紙13章1〜13節
【説教】「最も大いなるもの」
13:1 たといわたしが、人々の言葉や御使たちの言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしは、やかましい鐘や騒がしい鐃鉢と同じである。13:2 たといまた、わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい。13:3 たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、また、自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である。13:4 愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない。13:5 不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。13:6 不義を喜ばないで真理を喜ぶ。13:7 そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。13:8 愛はいつまでも絶えることがない。しかし、預言はすたれ、異言はやみ、知識はすたれるであろう。13:9 なぜなら、わたしたちの知るところは一部分であり、預言するところも一部分にすぎない。 13:10 全きものが来る時には、部分的なものはすたれる。13:11 わたしたちが幼な子であった時には、幼な子らしく語り、幼な子らしく感じ、また、幼な子らしく考えていた。しかし、おとなとなった今は、幼な子らしいことを捨ててしまった。13:12 わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。しかしその時には、顔と顔とを合わせて、見るであろう。わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。しかしその時には、わたしが完全に知られているように、完全に知るであろう。13:13 このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。
礼拝式次第
歌の時間 10:10-10:25
礼拝時間 10:30-12:00
   
前奏  
招詞 司会者
頌栄 新聖歌60
主の祈り 新聖歌(p826)
信仰告白 使徒信条
賛美 新聖歌175
交読 交読文60 新共同訳
開会祈祷  
賛美 Oh Give Thanks
賛美 私は奇蹟を信じる
賛美 静まって知れ
聖書 Tコリント13:1-13
説教 『最も大いなるもの』
 岡野 智牧師
献金 新聖歌248
感謝祈祷  
頌栄 新聖歌63
祝祷  
後奏  
報告  
愛餐会(食事)  
メッセージ(要約)
主の御名を賛美します。

 「愛の章」と呼ばれていて、結婚式では必ずといって良いほど読まれている箇所です。誰かを愛したい、そして愛されたいと思う事は自然な感情です。しかし現実を顧みると、「私は誰かに愛されているのだろうか?」と思ってしまう事はありませんか?。
要約を記します前に、もう一度聖書の読み方をお伝えします。決して2000年前のコリント教会の出来事と思わず、今自分が集っている教会、また行ってみたい教会の事を思って以下をお読み下さい。
 聖書に戻りますが、この書簡はパウロがコリントの教会へ書いたものです。コリントの教会は、活発な活動をしておりましたが反面、いつも分裂の危機にありました。教会員が一気に増え、「私は○○さんに着いていくんだ。」「いや私は△△さんに従う。」と自分に都合の良い指導者を選ぶようになってしまいました。そして信徒の中には「死者の復活などないのだ」と肉の思いを語る者まで現れてしまうのです。パウロはこの荒れ果ててしまったコリントの教会を見捨てる事が出来ず手紙を送るのです。
 私たちは立派だからクリスチャンになったのでしょうか?違いますよね、全く逆で罪人であったためにクリスチャンとされたのです。教会へはいろんな人がやって来ます。自分の考え方と違う人も多くいるでしょう。そこでどう交わり、相手を受け入れるか。
「愛」をもって受けるしかないのです。
また、教会の中では、いろんな賜物を比較するようになります。例えば、多額の献金をしたから1番、市会議員だから2番とか・・・こんな事があってはなりません。個人個人の「チンケ」なプライドがそうさせ、「愛」のカケラもなく、これこそ罪以外のなにものでもありません。いつも隣にいてくださっている主イエスが喜んでおられるでしょうか?
またパウロは裕福な者と、そうでない者が同じ教会へ集う事で「ねたみ」が弱い心に起こる事も記しています。裕福な者は「誇らず」、またそうでない者は「ねたまず」、自分と主との関係に立ち戻らねばなりません。
自分を誇らずねたまず、愛をもって交わる事ができる方はなんと幸いな方でしょうね。
 「最も大いなるもの」・・・もうお解りのとおり、「愛」です。同じ教会に集う方々に対し、「愛」をもって誇る事無く、またねたむ事無く接していますでしょうか?
肉の思いに負けそうになった時、『いつも主は私の隣におられる』事を確信し、愛をもって接する事ができますますように。
『愛の花びらはちらない!』のです・・・。

テケテケ
報告と消息
○9月10日(日)13:30〜15:30 賛美チーム「TSUBASA」の練習
○9月17日(日)敬老感謝礼拝
○9月18日(月)学院デー(広島福音教会) 参加費2,500円(昼食代込み) 講師は有田トモコ師で「心の病と向き合う」
○9月30日(土)らみい・英会話ジョイント
賛美チーム「TSUBASA」のためにお祈りください

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