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倉敷ホーリネスチャーチ

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2007年2月11日 説教:岡野 智牧師 教会のページへGO!
5:13 イエスは手を伸ばして彼にさわり、「そうしてあげよう、きよくなれ」と言われた。すると、皮膚病がただちに去ってしまった。
 
【聖書】ルカによる福音書5章12〜26節
【説教】「癒しの恵み」
5:12 イエスがある町におられた時、全身らい病になっている人がそこにいた。イエスを見ると、顔を地に伏せて願って言った、「主よ、みこころでしたら、きよめていただけるのですが」。5:13 イエスは手を伸ばして彼にさわり、「そうしてあげよう、きよくなれ」と言われた。すると、皮膚病がただちに去ってしまった。5:14 イエスは、だれにも話さないようにと彼に言い聞かせ、「ただ行って自分のからだを祭司に見せ、それからあなたのきよめのため、モーセが命じたとおりのささげ物をして、人々に証明しなさい」とお命じになった。5:15 しかし、イエスの評判はますますひろまって行き、おびただしい群衆が、教を聞いたり、病気をなおしてもらったりするために、集まってきた。5:16 しかしイエスは、寂しい所に退いて祈っておられた。5:17 ある日のこと、イエスが教えておられると、ガリラヤやユダヤの方々の村から、またエルサレムからきたパリサイ人や律法学者たちが、そこにすわっていた。主の力が働いて、イエスは人々をいやされた。5:18 その時、ある人々が、ひとりの中風をわずらっている人を床にのせたまま連れてきて、家の中に運び入れ、イエスの前に置こうとした。5:19 ところが、群衆のためにどうしても運び入れる方法がなかったので、屋根にのぼり、瓦をはいで、病人を床ごと群衆のまん中につりおろして、イエスの前においた。 5:20 イエスは彼らの信仰を見て、「人よ、あなたの罪はゆるされた」と言われた。 5:21 すると律法学者とパリサイ人たちとは、「神を汚すことを言うこの人は、いったい、何者だ。神おひとりのほかに、だれが罪をゆるすことができるか」と言って論じはじめた。5:22 イエスは彼らの論議を見ぬいて、「あなたがたは心の中で何を論じているのか。5:23 あなたの罪はゆるされたと言うのと、起きて歩けと言うのと、どちらがたやすいか。5:24 しかし、人の子は地上で罪をゆるす権威を持っていることが、あなたがたにわかるために」と彼らに対して言い、中風の者にむかって、「あなたに命じる。起きよ、床を取り上げて家に帰れ」と言われた。5:25 すると病人は即座にみんなの前で起きあがり、寝ていた床を取りあげて、神をあがめながら家に帰って行った。5:26 みんなの者は驚嘆してしまった。そして神をあがめ、おそれに満たされて、「きょうは驚くべきことを見た」と言った。
礼拝式次第
歌の時間 10:10-10:25
礼拝時間 10:30-12:00
   
前奏  
招詞 司会者
頌栄 新聖歌60
主の祈り 新聖歌(p826)
信仰告白 使徒信条
賛美 新聖歌21
交読 交読文16 新改訳
開会祈祷  
賛美 I Love You,Jesus
賛美 こんなにも
賛美 主の祈り
証し  
聖書 ルカ5:12-26
説教 『癒しの恵み』
 岡野 智師
献金 新聖歌316
感謝祈祷  
頌栄 新聖歌63
祝祷  
後奏  
報告  
愛餐会(食事)  
メッセージ(要約)
主の御名を賛美します。

 今日の箇所は、ある奇跡の物語です。主イエスはなぜ多くの人の病を癒したのでしょうか?イエスは憐れみ深く愛に満ちたお方です。しかし、病の癒しだけではなく、その奇跡によって「今神の国がここに来ている」ことを伝えようとされたのです。
  26節には、「みんなの者は恐れに満たされた」とあります。ここでの恐れとは、パラドックス(逆説)ということです。私達には日常、「こういうものなんだ」と思いこんでいることがたくさんあります。重い皮膚病や中風も「この病はけっして治らない」と思いこんでいた中で、癒しが起こりました。パラドックスが起きたのです。世の中は、人間とはこういうものだと考えている私達にイエスはまったく違うものを見せられました。私達の弱さ・罪をその身に受け、身代わりに十字架で死んでくださった。そのような恵みが今私達の内に起きています。広い意味での癒しの恵みを日々受け取ることが出来るのです。
 そしてそれを受け取るコツはなんでしょうか?中風の人には、彼のために行動してくれた友人が傍らにいました。イエスは彼らの信仰を見て「あなたの罪はゆるされた」と言われました。友人はこの中風の人を愛しており、その愛が行動を生み出したのです。愛ゆえにイエスを信じる信仰が働きました。信仰は愛の中に働くのです。 また、重い皮膚病の人は、顔を地に伏せて願いました。あなたが介入してくださらなければ、私の人生はどうなってしまうのでしょうか?という嘆願の祈りです。そこにイエスは信仰を見いだされました。
 私達は神様に自分の願いを祈り求めることに、後ろめたさを感じることがあります。しかし、この筆者はそれは悪いことではないと書いています。自分のありのままを正直に神様の御前に持ち出すことがゆるされている。これは教会に生きる者達に与えられた恵みです。 神様は癒しと同時に罪を赦されました。重い皮膚病の人に「自分の体を祭司に見せなさい」とイエスは言われました。なぜでしょう?聖書はけして、病気が罪の結果であるとは言っていませんが、当時は重い皮膚病にかかることは、罪ゆえに神様から見捨てらた結果であると考えられていました。ですから、病が治り罪もゆるされたということを祭司に見せに行ったのです。
  イエスの行った奇跡に多くの人が恐れ驚いた反面、パリサイ人や律法学者達は、驚くこともなく論じ始めました。律法学者達は、重い皮膚病の人や中風の人のような苦しみの中にいる人に深く関わろうとはせず、罪の本質についてわかっていなかったのです。自分も罪人の一人に過ぎないということがわかっていなかったので、イエスの奇跡に驚かなかったのです。
 私達も人ごとではないのではないでしょうか?周囲にいる病気の人、社会的に弱い立場にいる人、苦しんでいる人達に深く関わることを避けているのではないでしょうか?「あの行動を起こした友人達のような信仰を下さい」と、神様に、大胆に祈り求めていきましょう。

K.O
報告と消息
○2月10日(土) 昨日の英会話クラスは13名の参加がありました
○2月18日(日) 岡野師、津山教会で奉仕
○2月24日(土) 「らみいクラブ」(子供の集会) クレープを作ります
○2月25日(日) 月例会
○4月 8日(日) イースター
○4月22日(日) 礼拝終了後、教会総会
○4月29日(祝) 午後より「ヴィクトリー」

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