日本ホーリネス教団 〒710-0038岡山県倉敷市新田1299-12 
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倉敷ホーリネスチャーチ

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2008年1月27日 説教:岡野 智牧師 教会のページへGO!
5:17 そこで、イエスは彼らに答えられた、「わたしの父は今に至るまで働いておられる。わたしも働くのである」。
 
【聖書】ヨハネによる福音書5章1〜18節
【説教】「わたしも働く」
5:1 こののち、ユダヤ人の祭があったので、イエスはエルサレムに上られた。5:2 エルサレムにある羊の門のそばに、ヘブル語でベテスダと呼ばれる池があった。そこには五つの廊があった。5:3 その廊の中には、病人、盲人、足なえ、やせ衰えた者などが、大ぜいからだを横たえていた。〔彼らは水の動くのを待っていたのである。5:4 それは、時々、主の御使がこの池に降りてきて水を動かすことがあるが、水が動いた時まっ先にはいる者は、どんな病気にかかっていても、いやされたからである。〕5:5 さて、そこに三十八年のあいだ、病気に悩んでいる人があった。5:6 イエスはその人が横になっているのを見、また長い間わずらっていたのを知って、その人に「なおりたいのか」と言われた。5:7 この病人はイエスに答えた、「主よ、水が動く時に、わたしを池の中に入れてくれる人がいません。わたしがはいりかけると、ほかの人が先に降りて行くのです」。5:8 イエスは彼に言われた、「起きて、あなたの床を取りあげ、そして歩きなさい」。5:9 すると、この人はすぐにいやされ、床をとりあげて歩いて行った。その日は安息日であった。5:10 そこでユダヤ人たちは、そのいやされた人に言った、「きょうは安息日だ。床を取りあげるのは、よろしくない」。5:11 彼は答えた、「わたしをなおして下さったかたが、床を取りあげて歩けと、わたしに言われました」。5:12 彼らは尋ねた、「取りあげて歩けと言った人は、だれか」。5:13 しかし、このいやされた人は、それがだれであるか知らなかった。群衆がその場にいたので、イエスはそっと出て行かれたからである。5:14 そののち、イエスは宮でその人に出会ったので、彼に言われた、「ごらん、あなたはよくなった。もう罪を犯してはいけない。何かもっと悪いことが、あなたの身に起るかも知れないから」。5:15 彼は出て行って、自分をいやしたのはイエスであったと、ユダヤ人たちに告げた。5:16 そのためユダヤ人たちは、安息日にこのようなことをしたと言って、イエスを責めた。5:17 そこで、イエスは彼らに答えられた、「わたしの父は今に至るまで働いておられる。わたしも働くのである」。5:18 このためにユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうと計るようになった。それは、イエスが安息日を破られたばかりではなく、神を自分の父と呼んで、自分を神と等しいものとされたからである。
礼拝式次第
歌の時間 10:10-10:25
礼拝時間 10:30-12:00
   
前奏  
招詞 司会者
頌栄 新聖歌60
主の祈り 新聖歌(p826)
信仰告白 使徒信条
賛美 新聖歌232
交読 交読文53 新改訳
開会祈祷  
賛美 主はわが力
賛美 ジーザス・イス・アライブ
賛美 我が主
証し  
聖書 ヨハネ5:1-18
説教 『わたしも働く』
 岡野 智牧師
献金 新聖歌266
感謝祈祷  
頌栄 新聖歌63
祝祷  
後奏  
報告  
愛餐会(食事)  
メッセージ(要約)
主の御名を賛美します。

 先週はとても寒い日が続きましたね。晴れの国おかやまでも雪が降りつもりました。何の混じりけもない真っ白な雪、神様の御業におどろくばかりです。
 聖書の場所はベテスダ(いつくしみの家)で、今の病院のような所です。そこにある池のまわりに病人が横たえています。池の水が動く時、真っ先に飛び込んだ者が癒されたので、いち早く飛び込もうと準備しているのです。真っ先に飛び込める人はどんな人でしょう? 病気が軽度で自ら動く事ができる人、そして人をはねのけても自分が一番になろうとする人です。重病で、本当に癒しが必要な人は飛び込む事すらできないのです。
 そこに主イエスキリストが現れある重病人に「なおりたいのか」と聞かれます。声をかけられた病人、治りたい願いはありますが、自分ではどうする事もできない事実に絶望していたのです。そして主は安息日にその病人を癒されたのです。
 なぜこの人が主イエスキリストに選ばれたのでしょうか?
ヨハネは記していませんが、主自らが一方的に選ばれたのです。決して信仰が深かったとか行いが良かったからではないのです。今も一方的に私たちを選んでくださっているのです。
 安息日に人を癒された事についてユダヤ人達が主を責めています。その日は何も行ってはならないと決められていたからです。中身はともかく、表面だけの体裁を重視していたからです。
主イエスキリストは彼らに「わたしの父は今に至るまで働いておられる。わたしも働くのである」。と語られましたが、目が閉じたままの彼らには神を冒涜するとしか思えなかったのです。
 天の父なる神様は日曜日はもちろん、いつも働いておられます。喜びや悩みも24時間いつでも聞いてくださいます。呼吸をするように、天の父と会話してみてくださいね。きっとあなたに平安をお与えくださると思います。

 日曜日の礼拝、毎日のデボーションが儀礼でなく、心を込めた礼拝、交わりとなりますように・・・
 今週も主にあって素晴らしい日々となりますよう、お祈り致します。

テケテケ
報告と消息
○1月27日(日) 13:00〜月例会
○2月 9日(土) らみいクラブ
○2月15日(金) 10:00〜CS教師会
○2月22日(金) 19:30〜プレ・ビクトリー 倉敷聖約教会
○2月23日(土) 13:30〜英会話クラス

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