日本ホーリネス教団 | 〒710-0038岡山県倉敷市新田1299-12 電話:086−434−4766 岡山県倉敷市の正統的なキリスト教会です ※倉敷教会の地図はこちらからご確認ください※ |
|
倉敷ホーリネスチャーチ |
||
Top > MessegeMenu | English Here |
2008年2月17日 | 説教:岡野 智牧師 教会のページへGO! |
【聖書】ヨハネによる福音書9章35〜41節 【説教】「見えるようになる」 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
9:35 イエスは、その人が外へ追い出されたことを聞かれた。そして彼に会って言われた、「あなたは人の子を信じるか」。9:36 彼は答えて言った、「主よ、それはどなたですか。そのかたを信じたいのですが」。9:37 イエスは彼に言われた、「あなたは、もうその人に会っている。今あなたと話しているのが、その人である」。9:38 すると彼は、「主よ、信じます」と言って、イエスを拝した。9:39 そこでイエスは言われた、「わたしがこの世にきたのは、さばくためである。すなわち、見えない人たちが見えるようになり、見える人たちが見えないようになるためである」。9:40 そこにイエスと一緒にいたあるパリサイ人たちが、それを聞いてイエスに言った、「それでは、わたしたちも盲人なのでしょうか」。9:41 イエスは彼らに言われた、「もしあなたがたが盲人であったなら、罪はなかったであろう。しかし、今あなたがたが『見える』と言い張るところに、あなたがたの罪がある。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
メッセージ(要約) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
主の御名を賛美します。 この箇所は、目の見えない者が主イエスに癒され見えるようになり、会堂で人々に話していた所、パリサイ人たちによって外へ追い出されてしました。そこへ主イエスが彼に会い語られます。癒された者は「主よ、信じます」と告白します。そこへパリサイ人たちが主イエスに「私たちも盲人なのか?」と問い、主は「盲人であれば罪はない。見えると言い張る所に罪がある」と語られた場面です。 重要なポイントは癒された者が話した「信じます」と、パリサイ人の真実の神を見ているのに見ていない、しかし神を見ていると言い張る所です。素直に信じた者と、実際は盲目なのに見えると言い張る者とに二局しています。 「主イエスを信じているのに、この盲人のように癒されない」、「自分の暮らしは全く変わらない」と思ったりしていませんか?祈りの中で反省しますが、それに慣れてしまってはいませんか?祈りが叶わない時、自分勝手な解決の時を決め、祈りを継続しても意味がないなどと思った事はありませんか? マイナスのループに陥ると、祈るたびに落ち込んでしまいます。大切な事は、主イエスにすべて委ね祈る事実、主を見続ける事です。例えば植木鉢の小さな木を地面に植える際、根が伸びたかな?と毎日毎日掘り起こしていたら(祈りの確認)どうなるでしょう。根はくさってしまいます。じっくりと信じ続ける事が大切なのです。 盲目の者は、主イエスキリストを信じ目が開かれました。あなたの目は見えていますか、心の目の事です。パリサイ人は肉の目は見えていましたが、本物を見抜く心の目が閉ざされていました。今までの経験や決め事だけが正しく、それ以外を認める事が出来ない、かたくなな心のままだったのです。 主イエスキリストは、この盲人に話されたように、あなた一人に語られています。 礼拝堂の中央を見ても何も見えません。が、目を閉じて心で見てください。主が中央に立っておられるのを見る事が出来るかもしれません。主を見つめる時、あなたに信じる心が生まれ、そして信仰が与えられる事でしょう。 テケテケ |
報告と消息 |
○2月22日(金) 19:30〜プレビクトリー(倉敷聖約) ○2月23日(土) 13:30〜英会話クラス ○2月24日(日) 13:00〜月例会 ○2月25〜27日 教団年会 |