日本ホーリネス教団 〒710-0038岡山県倉敷市新田1299-12 
電話:086−434−4766 
岡山県倉敷市の正統的なキリスト教会です
倉敷教会の地図はこちらからご確認ください

倉敷ホーリネスチャーチ

Top > MessegeMenu
2010年8月1日 説教:山脇 望牧師 教会のページへGO!
1:信仰の弱い者を受けいれなさい。ただ、意見を批評するためであってはならない。
 
【聖書】ローマ人への手紙14章1〜12節
【説教】「弱い人を受け入れる」 
1:信仰の弱い者を受けいれなさい。ただ、意見を批評するためであってはならない。2:ある人は、何を食べてもさしつかえないと信じているが、弱い人は野菜だけを食べる。3:食べる者は食べない者を軽んじてはならず、食べない者も食べる者をさばいてはならない。神は彼を受けいれて下さったのであるから。4:他人の僕をさばくあなたは、いったい、何者であるか。彼が立つのも倒れるのも、その主人によるのである。しかし、彼は立つようになる。主は彼を立たせることができるからである。5:また、ある人は、この日がかの日よりも大事であると考え、ほかの人はどの日も同じだと考える。各自はそれぞれ心の中で、確信を持っておるべきである。6:日を重んじる者は、主のために重んじる。また食べる者も主のために食べる。神に感謝して食べるからである。食べない者も主のために食べない。そして、神に感謝する。7:すなわち、わたしたちのうち、だれひとり自分のために生きる者はなく、だれひとり自分のために死ぬ者はない。8:わたしたちは、生きるのも主のために生き、死ぬのも主のために死ぬ。だから、生きるにしても死ぬにしても、わたしたちは主のものなのである。9:なぜなら、キリストは、死者と生者との主となるために、死んで生き返られたからである。10:それだのに、あなたは、なぜ兄弟をさばくのか。あなたは、なぜ兄弟を軽んじるのか。わたしたちはみな、神のさばきの座の前に立つのである。11:すなわち、/「主が言われる。わたしは生きている。すべてのひざは、わたしに対してかがみ、/すべての舌は、神にさんびをささげるであろう」/と書いてある。12:だから、わたしたちひとりびとりは、神に対して自分の言いひらきをすべきである。
礼拝式次第
歌の時間 10:10-10:25
礼拝時間 10:30-12:00
   
前奏  
招詞 司会者
頌栄 新聖歌60
主の祈り 新聖歌(p826)
信仰告白 使徒信条
賛美 新聖歌9
開会祈祷  
賛美 ファミリー
賛美 花も
証し  
聖書 ローマ14:1-12
説教 『弱い人を受け入れる』
 山脇 望牧師
聖餐式 新聖歌49
献金 新聖歌232
頌栄 新聖歌63
祝祷  
後奏  
報告  
茶話会  
メッセージ(要約)
主の御名を賛美します。

茶碗で一番大切な事は何でしょう? 作られた窯でしょうか? デザインや素材でしょうか? いえ、一番大切な事は、中が空っぽということです。

食べ物の事、聖日の事が記されています。弱い人は野菜ばかり食べるとあります。なぜ弱いと表現されているのでしょうか?
当時、肉の流通は偶像に供えられた肉が市場に並び、それを買って食べる習慣があったようです。その偶像に一時供えられた肉を食べるか食べないか、それが記されているのです。肉を食べないのは、信仰が弱いからだと言う人があり、またある人は受け入れる事ができないと言っています。週の初めの聖日も同じ事のようです。
14:1に、信仰の弱い人を受け入れなさい(もてなしなさい)とあります。主イエスがこの私を受け入れてくださったのだから、弱い人を受け入れ(もてなし)なさいと伝えています。きちんとした理由があって記されているのです。

マザーテレサにボランティアとして同行した青年がいました。口もきけず、道へ横たわっていた老人を施設に運び世話をします。老人は感謝しているのかどうなのか伝える事が出来ません。しかし涙をもって青年を伝える目がすべてを物語っていました。

ブドウ園で主人から雇われ働く僕が聖書に登場しています。ある僕は朝早くから終わりまで1デナリで契約しました。まだ人が足らないので、昼に追加しました。まだ足らないので終わりの少し前に追加しました。そして作業が終わり賃金を主人は払います。
結論は、朝早く働いた僕も、少しだけ働いた僕も同じ1デナリを受け取りました。朝早くから働いた僕は、「少ししか働かない者と同じでは納得できない」と主人を裁きます。しかし主人は自分のしたい様に行った事がなぜ悪いのか。と不平を言う僕に話します。
契約し働いた僕はいったいだれのものでしょう? そう主人、神様のものです。神様がどうされるか受け入れるしかないのです。人と比べて、あの人の方が良いとか、これだけ奉仕したのになど、心にいっぱいある暗いものを捨て、空っぽにする必要があるのです。
「では、早くから神様を信じた人も、亡くなる直前に信じた人も同じではないか!」と言われる方もおられると思います。結論は、そう同じです。が、決定的な事は、直前に自分の都合で信仰を作るなど出来ないと言う事です。直前の悔い改めも神は見られますが、そのような神がかりは人にはできません。

主のために生き、主のために死ぬ事。すべてを私たちは託されているのです。
最後の日、裁きがあっても私たちは主にかがみ、賛美を捧げる事が出来るのです。その日にビビる事など、必要ないのです。
時に、主のご計画に疑問を感じる事もあるでしょう。しかし人知を越えたご計画がそこにあると確信し、信じる事ができれば幸いです。
今週も、主にあり素晴らしい日をお過ごしください。


テケテケ
報告と消息
○7月25日(日) 13:00〜愛餐会の後、役員会が開催されました。
○8月 1日(日) 8月度のスケジュールが配布されました。
○8月 6日(金) 〜7日(土)、らみいくらぶお泊まり会です。奉仕者を募集しています。

※2010年が祝福された幸いな年となりますように。
※倉敷ホーリネスチャーチを通して、宣教の業がいよいよ進展しますように。
※体調を崩している人々のためお祈りください。

 [Menu]