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倉敷ホーリネスチャーチ |
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2011年5月8日 | 説教:山脇 正子牧師 教会のページへGO! |
【聖書】創世記 18章16〜33節 【説教】「とりなしの祈り」 |
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16:その人々はそこを立ってソドムの方に向かったので、アブラハムは彼らを見送って共に行った。17:時に主は言われた、「わたしのしようとする事をアブラハムに隠してよいであろうか。18:アブラハムは必ず大きな強い国民となって、地のすべての民がみな、彼によって祝福を受けるのではないか。19:わたしは彼が後の子らと家族とに命じて主の道を守らせ、正義と公道とを行わせるために彼を知ったのである。これは主がかつてアブラハムについて言った事を彼の上に臨ませるためである」。20:主はまた言われた、「ソドムとゴモラの叫びは大きく、またその罪は非常に重いので、21:わたしはいま下って、わたしに届いた叫びのとおりに、すべて彼らがおこなっているかどうかを見て、それを知ろう」。22:その人々はそこから身を巡らしてソドムの方に行ったが、アブラハムはなお、主の前に立っていた。23:アブラハムは近寄って言った、「まことにあなたは正しい者を、悪い者と一緒に滅ぼされるのですか。24:たとい、あの町に五十人の正しい者があっても、あなたはなお、その所を滅ぼし、その中にいる五十人の正しい者のためにこれをゆるされないのですか。25:正しい者と悪い者とを一緒に殺すようなことを、あなたは決してなさらないでしょう。正しい者と悪い者とを同じようにすることも、あなたは決してなさらないでしょう。全地をさばく者は公義を行うべきではありませんか」。26:主は言われた、「もしソドムで町の中に五十人の正しい者があったら、その人々のためにその所をすべてゆるそう」。27:アブラハムは答えて言った、「わたしはちり灰に過ぎませんが、あえてわが主に申します。28:もし五十人の正しい者のうち五人欠けたなら、その五人欠けたために町を全く滅ぼされますか」。主は言われた、「もしそこに四十五人いたら、滅ぼさないであろう」。29:アブラハムはまた重ねて主に言った、「もしそこに四十人いたら」。主は言われた、「その四十人のために、これをしないであろう」。30:アブラハムは言った、「わが主よ、どうかお怒りにならぬよう。わたしは申します。もしそこに三十人いたら」。主は言われた、「そこに三十人いたら、これをしないであろう」。31:アブラハムは言った、「いまわたしはあえてわが主に申します。もしそこに二十人いたら」。主は言われた、「わたしはその二十人のために滅ぼさないであろう」。32:アブラハムは言った、「わが主よ、どうかお怒りにならぬよう。わたしはいま一度申します、もしそこに十人いたら」。主は言われた、「わたしはその十人のために滅ぼさないであろう」。33:主はアブラハムと語り終り、去って行かれた。アブラハムは自分の所に帰った。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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メッセージ(要約) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
主の御名を賛美します。 5月第二日曜日、今日は母の日です。普段から感謝の気持ちを伝えている方、年に一度だけ花を贈り気持ちを伝えている方、いろいろおられると思いますが、無償の愛で育ててくださった母に感謝の気持ちを伝える事が出来るなら幸いです。 アブラハムの生涯を講解していますが、今日で10回目となりました。この箇所は神が罪にまみれたソドムとゴモラを滅ぼす事をアブラハムに伝える場面です。そこにはアブラハムと共に暮らしたロト一家が住んでいます。何とか罪の町に住む正しい者と思い続けるロトを救おうと考えるアブラハムでした。この箇所より以下2つの視点で見てまいります。 (1)神のなさる事を知らされるアブラハム 18:17 神はアブラハムを友として愛しておられました。そのアブラハムにソドム、ゴモラを滅ぼす事を隠しておいて良いだろうか? と考えられました。そしてその計画をアブラハムに告げるのでした。 神はアブラハムを友としたように、私たちをも友として接してくださっています。 (2)とりなしの祈りをするアブラハム 18:32 何とかロトを救おうと、神に問いをするアブラハム。罪の町にもし50人正しい者があっても滅ぼされますか? 神は50人正しい人がいたなら滅ぼさないと答えます。アブラハムはさらに、45人いたら、40人いたら・・・10人いたら? と神、すなわち受肉前のイエスキリストに問いかけます。神は10人いたら滅ぼさないと答え、お互い去って行きました。 とりなしの祈りは、まず主の前に立つ事から始まります。そして神に近寄り祈りをささげるのです。 祈りには大きく分けて5つの祈りがあります。 讃美、感謝、告白、願い、そしてとりなしの祈りです。毎日の祈りの中で、神の讃美そして生かされている事の感謝、罪の告白、そして願いを祈っていると思います。そこにぜひ場所は離れていても、そこで戦っている方、耐えている方のために、とりなしの祈りを加えてくださる事を願います。すでに日々の祈りの中に、震災にあわれた方々のとりなしの祈りをなさっておられる方も多いと思いますが、長期化する苦難に復興と平安がありますよう、共に祈りがもてれば幸いです。現地に行く事はできなくても、祈る事はできます。今が祈りの時、とりなしの時なのです。 テケテケ |
報告と消息 |
○5月15日(日) 教区総会が開催されます(広島教会)。 ※東北地方太平洋沖地震で被災された全ての方のために。 ※倉敷ホーリネスチャーチを通して、宣教の業がいよいよ進展しますように。 ※新来会者、求道者、受洗者が起こされますように。 ※体調を崩している人々のためお祈りください。 |