日本ホーリネス教団 | 〒710-0038岡山県倉敷市新田1299-12 電話:086−434−4766 岡山県倉敷市の正統的なキリスト教会です ※倉敷教会の地図はこちらからご確認ください※ |
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倉敷ホーリネスチャーチ |
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2011年8月21日 | 説教:山脇 正子牧師 教会のページへGO! |
【聖書】創世記 25章1〜11節 【説教】「信仰の遺産」 |
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1:アブラハムは再び妻をめとった。名をケトラという。2:彼女はジムラン、ヨクシャン、メダン、ミデアン、イシバクおよびシュワを産んだ。3:ヨクシャンの子はシバとデダン。デダンの子孫はアシュリびと、レトシびと、レウミびとである。4:ミデアンの子孫はエパ、エペル、ヘノク、アビダ、エルダアであって、これらは皆ケトラの子孫であった。5:アブラハムはその所有をことごとくイサクに与えた。6:またそのそばめたちの子らにもアブラハムは物を与え、なお生きている間に彼らをその子イサクから離して、東の方、東の国に移らせた。7:アブラハムの生きながらえた年は百七十五年である。8:アブラハムは高齢に達し、老人となり、年が満ちて息絶え、死んでその民に加えられた。9:その子イサクとイシマエルは彼をヘテびとゾハルの子エフロンの畑にあるマクペラのほら穴に葬った。これはマムレの向かいにあり、10:アブラハムがヘテの人々から、買い取った畑であって、そこにアブラハムとその妻サラが葬られた。11:アブラハムが死んだ後、神はその子イサクを祝福された。イサクはベエル・ラハイ・ロイのほとりに住んだ。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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メッセージ(要約) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
主の御名を賛美します。 アブラハムの生涯を取り上げた説教も16回目となり、最終回を迎えました。 アブラハムは175歳で生涯を閉じる事となりました。信仰の父の遺産とは、多くの子どもの中から誰が受け継ぐのでしょうか? この箇所を3つの視点で見てまいります。 (1)多くの国民の父アブラハム 25:1 アブラハムはケトラを妻としました。息子イサクはリベカを妻とし、40歳で独立しています。 アブラハムはケトラの間に、子どもを6人もうけました。 私たちもアブラハムの子孫です。祝福を受けない事などないのです。 (2)神の約束の世継ぎイサク 25:5 アブラハムは所有するものをことごとくイサクに与えました。ケトラとの間に生まれた子ども達も、もちろん養っています。そして生きている間に、イサクと他の子どもたちを区別し、イサクを世継ぎとして分けたのです。死んだ後ではなく、今行動するアブラハムでした。 (3)アブラハムの信仰の遺産 25:7 アブラハムの生涯は175年でした。神の言に従い、75歳で示された場所に移住。それから100年が経ち、高齢となり、老人となり、平安な時を迎え、時が満ち、長寿を全うしたアブラハムでした。神の言こそ宝、それに従い続けた幸いなアブラハムでした。 ヘブル人への手紙11章 1節に、「さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。」また、ヘブル人への手紙11章 13節には、「これらの人はみな、信仰をいだいて死んだ。まだ約束のものは受けていなかったが、はるかにそれを望み見て喜び、そして、地上では旅人であり寄留者であることを、自ら言いあらわした。」と記されています。アブラハムもまだ見ていない事を望みつつ、確信しつつ歩んだ人生でした。そして神はその信仰を恥とされる事はなかったのです。 私たちもアブラハムの子孫です。神はその信仰を恥とされる事などなく、祝福をお与え続けておられます。これからも信仰の家、すなわち教会を通して神の言は語られ、神は受ける者に多くの恵みをご用意されているのです。 テケテケ |
報告と消息 |
○8月22日(月) 〜26日、山脇先生ご夫妻は夏期休暇に入ります。 ○8月28日(日) 愛餐会の後、役員会が行われます。 ○9月 4日(日) 午後から聖書の学びを行います。 ※東北地方太平洋沖地震で被災された全ての方のために。 ※倉敷ホーリネスチャーチを通して、宣教の業がいよいよ進展しますように。 ※新来会者、求道者、受洗者が起こされますように。 ※体調を崩している人々のためお祈りください。 |