日本ホーリネス教団 〒710-0038岡山県倉敷市新田1299-12 
電話:086−434−4766 
岡山県倉敷市の正統的なキリスト教会です
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倉敷ホーリネスチャーチ

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2016年5月29日 説教:小林光生牧師 教会のページへGO!
5:だから、主がこられるまでは、何事についても、先走りをしてさばいてはいけない。主は暗い中に隠れていることを明るみに出し、心の中で企てられていることを、あらわにされるであろう。その時には、神からそれぞれほまれを受けるであろう。
 
【聖書】コリント人への第一の手紙4章1〜10節
【説教】「神からのほまれを受ける」 
1:このようなわけだから、人はわたしたちを、キリストに仕える者、神の奥義を管理している者と見るがよい。 2:この場合、管理者に要求されているのは、忠実であることである。 3:わたしはあなたがたにさばかれたり、人間の裁判にかけられたりしても、なんら意に介しない。いや、わたしは自分をさばくこともしない。 4:わたしは自ら省みて、なんらやましいことはないが、それで義とされているわけではない。わたしをさばくかたは、主である。5:だから、主がこられるまでは、何事についても、先走りをしてさばいてはいけない。主は暗い中に隠れていることを明るみに出し、心の中で企てられていることを、あらわにされるであろう。その時には、神からそれぞれほまれを受けるであろう。 6:兄弟たちよ。これらのことをわたし自身とアポロとに当てはめて言って聞かせたが、それはあなたがたが、わたしたちを例にとって、「しるされている定めを越えない」ことを学び、ひとりの人をあがめ、ほかの人を見さげて高ぶることのないためである。 7:いったい、あなたを偉くしているのは、だれなのか。あなたの持っているもので、もらっていないものがあるか。もしもらっているなら、なぜもらっていないもののように誇るのか。8:あなたがたは、すでに満腹しているのだ。すでに富み栄えているのだ。わたしたちを差しおいて、王になっているのだ。ああ、王になっていてくれたらと思う。そうであったなら、わたしたちも、あなたがたと共に王になれたであろう。 9:わたしはこう考える。神はわたしたち使徒を死刑囚のように、最後に出場する者として引き出し、こうしてわたしたちは、全世界に、天使にも人々にも見せ物にされたのだ。 10:わたしたちはキリストのゆえに愚かな者となり、あなたがたはキリストにあって賢い者となっている。わたしたちは弱いが、あなたがたは強い。あなたがたは尊ばれ、わたしたちは卑しめられている。
礼拝式次第
歌の時間 10:10-10:25
礼拝時間 10:30-12:00
   
前奏  
招詞 司会者
頌栄 新聖歌60
主の祈り 新聖歌(p826)
信仰告白 使徒信条
賛美 新聖歌332
交読 交読文3
開会祈祷  
ワーシップ 精霊の風吹いて
  全地よ
聖書 Tコリント4:1-10節
説教 『神からのほまれを受ける』
 小林光生牧師
献金 新聖歌339
感謝祈祷  
頌栄 新聖歌63
祝祷  
後奏  
報告  
メッセージ(要約)
主の御名を賛美します。

 コリントで伝道を続けるパウロが、自分は何者なのか語っている場面です。ご存じと思いますが以前のパウロはキリスト者を迫害する側の人間で、神に敵対していた者でした。しかしダマスコでパウロの『目からうろこ』のような者が主により落ち、パウロの目が開かれ人生を180度変えられここに至っています。自分の信仰を自慢したり、指導者を選び区別するようなコリント市民にパウロは以下2つについて語りました。

(1)キリストに僕として使える者
僕(しもべ)とは、仕える人、舟のこぎ手、ミニスターの事です。僕教育として海外では以下のような教えをしているようです。@アカデミー教育の学び Aソーシャル社会的の学び Bエモーション感情の学び Cフィジカル肉体の学び でした。僕として想像する人とは本来、役人で、市役所員、県庁員、国会議員そしてもっとも僕として生活しなくてならないのはプライムミニスターである『総理大臣』です。さてさて、本当にそうなっているのでしょうか?
教会も僕として牧師、役員がたてられています。人々はその奉仕者としての僕を支える事が何より大切であり、主の御心なのです。

(2)神の奥義を管理している者
神は私たちに多くのタラントを預けておられます。そのタラントを活かし、伝道に歩む者、また人々の指導役として歩む者などがいます。大切な事は『忠実』である事です。
十字架のモニュメントと言えば今、ネックレスやイヤリングなど煌びやかなイメージですが、実際は真逆で死の象徴です。主イエスキリストが処刑された血に染まった十字架が本来のフォルムであり意味でもあります。この日本でのクリスチャンは0.8パーセントまで下がっていて、十字架の意味自体を知らず身につけている人が多いのです。その人々に本当の主の愛、なぜ十字架に自らかかられたのかを伝える事が今、クリスチャンとして必要と思います。
パウロはコリントの人々を、富に満ち満腹している、また自分を王にしている、仕える者ではなく、人を仕えさせる者、あるいは神をも仕えさせる者になっていると言っています。私たちも一歩勘違いし間違えるとそうなってしまいます。

 神からほまれを受ける人とは・・・
聖書、神に忠実でこれを越えてはならない事を知っている者です。神の言を学んでいるのに、自分勝手に解釈したり、良いことだけを切り取り暗記したり、都合の悪い事を削除したりしては絶対にあってはならないのです。そして主がいつも自分と共にいてくださる事を思い、@人があなたを裁いても全く気にしない A自分を卑下したり裁いたりしない B人も裁かない 事が大切です。
今が苦しくても、謙虚で僕として仕えるものが神からのほまれを受けるのだと思います。それは今すぐなのか、遠い後なのかは解りませんが、あなたと共にいてくださる方は当然あなたをいつも見ています。

今週も主により、素晴らしい日々をお過ごしください。


テケテケ
報告と消息
○5月29日(日) 礼拝後、役員会が開催されます。
5月29日(日) 九州の震災支援献金は本日でいったん締め切り、教団経由で献金いたします。
○6月 5日(日) 次週は「召天者記念礼拝」です。

[祈りの課題]
※2016年、一人ひとり、家庭、教会にとって祝福された年となりますように。
※受験生のために。
※新来会者、求道者、受洗者が起こされますように。
※ご高齢の方、体調のすぐれない方のために。

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