日本ホーリネス教団 〒710-0038岡山県倉敷市新田1299-12 
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倉敷ホーリネスチャーチ

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2024年6月9日 説教:古田土直寿(こだとなおひさ)師 要約:大元鉄也兄 教会のページへGO!
37:「だれでも、このような幼な子のひとりを、わたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。そして、わたしを受けいれる者は、わたしを受けいれるのではなく、わたしをおつかわしになったかたを受けいれるのである」。
 
【聖書】マルコによる福音書9章30〜37節
【説教】「私たちを弟子として招かれる主イエス」
30: それから彼らはそこを立ち去り、ガリラヤをとおって行ったが、イエスは人に気づかれるのを好まれなかった。 31: それは、イエスが弟子たちに教えて、「人の子は人々の手にわたされ、彼らに殺され、殺されてから三日の後によみがえるであろう」と言っておられたからである。 32: しかし、彼らはイエスの言われたことを悟らず、また尋ねるのを恐れていた。 33: それから彼らはカペナウムにきた。そして家におられるとき、イエスは弟子たちに尋ねられた、「あなたがたは途中で何を論じていたのか」。 34:彼らは黙っていた。それは途中で、だれが一ばん偉いかと、互に論じ合っていたからである。 35: そこで、イエスはすわって十二弟子を呼び、そして言われた、「だれでも一ばん先になろうと思うならば、一ばんあとになり、みんなに仕える者とならねばならない」。 36:そして、ひとりの幼な子をとりあげて、彼らのまん中に立たせ、それを抱いて言われた。 37:「だれでも、このような幼な子のひとりを、わたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。そして、わたしを受けいれる者は、わたしを受けいれるのではなく、わたしをおつかわしになったかたを受けいれるのである」。
メッセージ(要約)
主の御名を讃美いたします。 

マルコによる福音書第9 章30〜37 節
「だれでも、このような幼な子のひとりを、わたしの名のゆえに 受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。」(9:37)

  「だれが一ばん偉いか」(9:34)ということを議論していた弟子 たちに対してイエスさまは2つのことを教えておられます。

@「・・・一ばんあとになり、みんなに仕える者とならねばならな い。」(9:35) なぜ、一ばんあとなのでしょうか、一ばんあとにいると、前が 見えるからです。先頭に立っていたのでは、後ろは見えませ ん。先頭ではなく一ばんあとになって、人に仕えなさいとイエ スさまは教えられたのです。

A「・・・このような幼な子のひとりを、わたしの名のゆえに受け いれる者は、わたしを受けいれるのである・・・。」(9:37) 幼な子は一人では生きていけません、様々な面で誰かの助 けが必要です。他者の助けを必要としなければならない人を 受け入れなさいとイエスさまは教えられたのです。

@とAの何れも、弟子たちにとっては全く気付いていなかっ たことでしょう。弟子たちは、世の中の価値基準にとらわれて、 本当に必要なことを考える余裕がなかったのです。 私たちもまたイエスさまの弟子として招かれていることを覚 え、人に仕え、助けを必要としておられる方に寄り添っていく ことを大切にいたしましょう。

 今週も主に感謝する日々を過ごせるなら幸いですね。

テケテケ

※要約はメッセンジャーの説教メモを記しています。
報告と消息
2024年度のみ言葉
高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである。(ローマ人への手紙8:39)

[祈りの課題]
・古田土直寿牧師の働きが守られますように。
・新来会者が与えられますように。
・病める方、弱さを覚えている方に主の癒しがありますように。
・2024年度東京聖書学院に献身者20名が与えられますように。

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