倉敷ホーリネスチャーチ

(キリスト教メッセージ要約)
〒710−0038 岡山県倉敷市新田1299−12番地
TEL(086)434−4766
牧師 岡野智
2001年9月9日の週報 説教:岡野師 司会:大元兄 奏楽:紀子師
 
【聖書】ヨハネによる福音書20章1〜18節
【説教】「福音を信じる」
20:1 さて、一週の初めの日に、朝早くまだ暗いうちに、マグダラのマリヤが墓に行くと、墓から石がとりのけてあるのを見た。 20:2 そこで走って、シモン・ペテロとイエスが愛しておられた、もうひとりの弟子のところへ行って、彼らに言った、「だれかが、主を墓から取り去りました。どこへ置いたのか、わかりません」。 20:3 そこでペテロともうひとりの弟子は出かけて、墓へむかって行った。 20:4 ふたりは一緒に走り出したが、そのもうひとりの弟子の方が、ペテロよりも早く走って先に墓に着き、 20:5 そして身をかがめてみると、亜麻布がそこに置いてあるのを見たが、中へははいらなかった。 20:6 シモン・ペテロも続いてきて、墓の中にはいった。彼は亜麻布がそこに置いてあるのを見たが、 20:7 イエスの頭に巻いてあった布は亜麻布のそばにはなくて、はなれた別の場所にくるめてあった。 20:8 すると、先に墓に着いたもうひとりの弟子もはいってきて、これを見て信じた。 20:9 しかし、彼らは死人のうちからイエスがよみがえるべきことをしるした聖句を、まだ悟っていなかった。 20:10 それから、ふたりの弟子たちは自分の家に帰って行った。 20:11 しかし、マリヤは墓の外に立って泣いていた。そして泣きながら、身をかがめて墓の中をのぞくと、 20:12 白い衣を着たふたりの御使が、イエスの死体のおかれていた場所に、ひとりは頭の方に、ひとりは足の方に、すわっているのを見た。 20:13 すると、彼らはマリヤに、「女よ、なぜ泣いているのか」と言った。マリヤは彼らに言った、「だれかが、わたしの主を取り去りました。そして、どこに置いたのか、わからないのです」。 20:14 そう言って、うしろをふり向くと、そこにイエスが立っておられるのを見た。しかし、それがイエスであることに気がつかなかった。 20:15 イエスは女に言われた、「女よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか」。マリヤは、その人が園の番人だと思って言った、「もしあなたが、あのかたを移したのでしたら、どこへ置いたのか、どうぞ、おっしゃって下さい。わたしがそのかたを引き取ります」。 20:16 イエスは彼女に「マリヤよ」と言われた。マリヤはふり返って、イエスにむかってヘブル語で「ラボニ」と言った。それは、先生という意味である。 20:17 イエスは彼女に言われた、「わたしにさわってはいけない。わたしは、まだ父のみもとに上っていないのだから。ただ、わたしの兄弟たちの所に行って、『わたしは、わたしの父またあなたがたの父であって、わたしの神またあなたがたの神であられるかたのみもとへ上って行く』と、彼らに伝えなさい」。 20:18 マグダラのマリヤは弟子たちのところに行って、自分が主に会ったこと、またイエスがこれこれのことを自分に仰せになったことを、報告した。
 
メッセージ(要約)
 主の御名を賛美します。
復活の箇所に入りました。金曜日の受難日から数えて3日目の週始めの日でした。当時の安息日は金曜日の日没から土曜日の日没まででしたが、主イエスのよみがえりにより、日曜日へと変更になりました。主イエスのよみがえりこそが福音なのです。
蘇られた主イエスから最初に名前を呼ばれたのはマリアでした。このマグダラのマリアは「罪の女」と呼ばれる者でした。マリアは主によりすがるしかなく、また主を自分だけの主にしたかったようですが、主はマリアに「私の兄弟たちに伝えて・・・」と言われ、マリアは自己中心的な愛から福音を告げる者と変えられたのです。
主がマリアを呼ばれたように私たち一人一人を呼んで下さっています。2000年以上前の出来事ですが、実は今なお呼び続けて下さっているのです。
T.O
報告と消息
※9/24 学院デー(水間師)
※9/30 KGKの吉澤師がメッセージをされます。(岡野師は柵原へ)
※次週は伝道礼拝です。
※尊いご献金に感謝いたします。<荒木師(弘前)>

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