調布キリスト教会

(キリスト教メッセージ要約)
〒182-0024東京都調布市布田1−24−2
電話:0424−83−0619
2003年11月2日 説教:荒井道夫師 教会のページへGO!
 
【聖書】詩篇24章1〜10節
【説教】「栄光のイエス」
24 ダビデの歌
24:1 地と、それに満ちるもの、世界と、そのなかに住む者とは主のものである。 24:2 主はその基を大海のうえにすえ、大川のうえに定められた。
24:3 主の山に登るべき者はだれか。その聖所に立つべき者はだれか。 24:4 手が清く、心のいさぎよい者、その魂がむなしい事に望みをかけない者、偽って誓わない者こそ、その人である。 24:5 このような人は主から祝福をうけ、その救の神から義をうける。 24:6 これこそ主を慕う者のやから、ヤコブの神の、み顔を求める者のやからである。〔セラ
24:7 門よ、こうべをあげよ。とこしえの戸よ、あがれ。栄光の王がはいられる。 24:8 栄光の王とはだれか。強く勇ましい主、戦いに勇ましい主である。 24:9 門よ、こうべをあげよ。とこしえの戸よ、あがれ。栄光の王がはいられる。 24:10 この栄光の王とはだれか。万軍の主、これこそ栄光の王である。〔セラ
 
メッセージ(要約)
 主の御名を賛美します。
この箇所は、大きく3つに分類されます。
(1)1〜2節・・・世界と宇宙の枠組みについて
(2)3〜6節・・・そこに住むに相応しい人について
(3)7〜10節・・・新約イエス・キリストについて
では詳しくその3つを見てみます。
(1)世界と宇宙の枠組みについて
ここで神は(a)世界があり(b)住む人がいて(c)私のものだと言われています。
創世記では、サタンが大いに働き、神のものから「肉である私のもの」と主張がでてきます。ローマ人への手紙14章7〜8節で、人の生き方について「生きるも死ぬも主のものである」と記され、パウロは私たちは聖霊の宮で自分の好き勝手にするものではない。また、コリント前書6章19節では、代価を払って私たちは買われた。とあります。私たちの所有権は神にあり、使用権を預かっているのです。
(2)そこに住むに相応しい人について
「義」を受けたものが相応しいのです。ではその「義」はどうやって受け取る事ができるのでしょうか?まず神は私たち一人一人の中に住まわれます。礼拝を守る事は大切ですが、それだけではなりません。毎日の生活の中に「神」と交わる事が重要なのです。私たちの周りには妨げるさまざまな「偶像」があります。お金も考え方によるとそれかもしれません。
(3)新約イエス・キリストについて
栄光の勝利の主について記されています。私たち人間は、サタン・自我・死から逃れる事ができません。しかし主イエスは、この全てに勝利され、天において私たちをいつも見守り、また時に居場所を用意されています。私たちにできることは「主イエスは私を通して何を望んでおられるか?」と自問し、交わり、祈り生きる事が重要です。主は私たち一人一人が小さくまとまる事を望んでおられる訳ではなく、もっと大胆に雄々しくあれ!と思われているのです。私たちにお入り下さっている主に感謝をもって望みましょう。
T.O
報告と消息
※10/19:創立50周年コンサートがありました。


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