調布キリスト教会(キリスト教メッセージ要約) |
|
2003年11月23日 | 説教:荒井道夫師 教会のページへGO! |
【聖書】詩篇31篇14〜16節 【説教】「私の時はみ手の中に」 |
||
31 ダビデの歌 31:14 しかし、主よ、わたしはあなたに信頼して、言います、「あなたはわたしの神である」と。 31:15 わたしの時はあなたのみ手にあります。わたしをわたしの敵の手と、わたしを責め立てる者から救い出してください。 31:16 み顔をしもべの上に輝かせ、いつくしみをもってわたしをお救いください。 |
メッセージ(要約) | ||
主の御名を賛美します。 苦しみの中にいる時の詩ですが、主に信頼しきっているのがよくわかります。この31篇は「主よ」の呼びかけで区切られています。また、この箇所に出てくる「時」「み手」とはどんな意味があるのでしょうか。 ◆時とは・・・ (1)私の将来 (2)今、この瞬間 (3)運命<FATE> 聖書は「時」は神の支配にあり、人生は神のご計画により決められているのです。 ◆み手とは・・・ 「手」は、力と理解される事もあり、手は握る事ができます。それは勝利、救いを意味します。また、主イエスは実際にみ手を持たれ(実在ですから当然ですが)、私たちを勝利、救いに導いてくださっています。 私たちは、創造主、勝利の主イエスに支配され、全てにおいて勝利する計画をいただいているのです。 31篇5節で、「わが魂をみ手にゆだねます」と記されていますが、この魂と時は同じ意味で、ご計画に委ねる意味として書かれています。また、十字架の上のイエスが語られた言葉と同じ意味です。全てを委ねています。 ◆クリスチャンである私たちは、以下の事を知っています。 (1)クリスチャンは、時を知っている。 (2)クリスチャンは、神様のご計画を知っている。 (3)クリスチャンは、古いものが過ぎ去り、新しいものが来る事を知っている。 神の前に立つその時がすぐそこに来ています。神のために大胆に、その時を使用させていただきましょう。「私の時はみ手にあります」と言える私たちは幸いです。 T.O |
報告と消息 |
新年聖会(2004年1月12日)の特別賛美練習が始まりました。 |