調布キリスト教会

(キリスト教メッセージ要約)
〒182-0024東京都調布市布田1−24−2
電話:0424−83−0619
2003年11月23日 説教:荒井道夫師 教会のページへGO!
 
【聖書】詩篇31篇14〜16節
【説教】「私の時はみ手の中に」
31 ダビデの歌
31:14 しかし、主よ、わたしはあなたに信頼して、言います、「あなたはわたしの神である」と。 31:15 わたしの時はあなたのみ手にあります。わたしをわたしの敵の手と、わたしを責め立てる者から救い出してください。 31:16 み顔をしもべの上に輝かせ、いつくしみをもってわたしをお救いください。
 
メッセージ(要約)
 主の御名を賛美します。
苦しみの中にいる時の詩ですが、主に信頼しきっているのがよくわかります。この31篇は「主よ」の呼びかけで区切られています。また、この箇所に出てくる「時」「み手」とはどんな意味があるのでしょうか。
◆時とは・・・
(1)私の将来
(2)今、この瞬間
(3)運命<FATE>
聖書は「時」は神の支配にあり、人生は神のご計画により決められているのです。
◆み手とは・・・
「手」は、力と理解される事もあり、手は握る事ができます。それは勝利、救いを意味します。また、主イエスは実際にみ手を持たれ(実在ですから当然ですが)、私たちを勝利、救いに導いてくださっています。
私たちは、創造主、勝利の主イエスに支配され、全てにおいて勝利する計画をいただいているのです。
31篇5節で、「わが魂をみ手にゆだねます」と記されていますが、この魂と時は同じ意味で、ご計画に委ねる意味として書かれています。また、十字架の上のイエスが語られた言葉と同じ意味です。全てを委ねています。
◆クリスチャンである私たちは、以下の事を知っています。
(1)クリスチャンは、時を知っている。
(2)クリスチャンは、神様のご計画を知っている。
(3)クリスチャンは、古いものが過ぎ去り、新しいものが来る事を知っている。
神の前に立つその時がすぐそこに来ています。神のために大胆に、その時を使用させていただきましょう。「私の時はみ手にあります」と言える私たちは幸いです。
T.O
報告と消息
新年聖会(2004年1月12日)の特別賛美練習が始まりました。


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