調布キリスト教会

(キリスト教メッセージ要約)
〒182-0024東京都調布市布田1−24−2
電話:0424−83−0619
2004年2月8日 説教:石田一敏師 教会のページへGO!
 
【聖書】マタイによる福音書17章1節〜8節
【説教】「変貌の体験」
17:1 六日ののち、イエスはペテロ、ヤコブ、ヤコブの兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。 17:2 ところが、彼らの目の前でイエスの姿が変り、その顔は日のように輝き、その衣は光のように白くなった。 17:3 すると、見よ、モーセとエリヤが彼らに現れて、イエスと語り合っていた。 17:4 ペテロはイエスにむかって言った、「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。もし、おさしつかえなければ、わたしはここに小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのために、一つはモーセのために、一つはエリヤのために」。 17:5 彼がまだ話し終えないうちに、たちまち、輝く雲が彼らをおおい、そして雲の中から声がした、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である。これに聞け」。 17:6 弟子たちはこれを聞いて非常に恐れ、顔を地に伏せた。 17:7 イエスは近づいてきて、手を彼らにおいて言われた、「起きなさい、恐れることはない」。 17:8 彼らが目をあげると、イエスのほかには、だれも見えなかった。
 
メッセージ(要約)
 主の御名を賛美します。
私(石田師)は10年前、修養生として調布教会でご奉仕をさせて頂きました。当時は本当に奉仕に対する情熱や喜びでした。皆様も洗礼を受けた時、心から喜びが溢れていたと思います。しかし、年数が経つにつれて「本当に自分は変えられたのか」と疑心暗鬼になったり、他人と比べて落ち込んだりして、喜びが薄れてしまったという経験があるのではないでしょうか?
今日の箇所は、イエスが特に選ばれた、3人の使徒が変貌する体験を描いています。ではどうやって人は変えられていくのでしょうか? ポイントは3つあります。
 @マタイ16:16で、ペテロは「あなたこそ、いける神の子キリストです。」と告白していますが、その後23節では、イエスから叱責されています。この時点ではまだイエスが十字架にかかる前でしたので、ペテロはイエスの使命が分かっていませんでした。分からない者であるがゆえに、イエスはこの変貌の山でご自身の光り輝く姿をお見せになりました。ペテロは、心を射す真理の光が眩しかったのです。また、出エジプト記でモーセがシナイ山から下った時、モーセの顔は主と語らったゆえに、光り輝いていました。私たちは聖書のみことば(真理)によって、ペテロやモーセと同じ体験ができます。私たちも変貌できるのです。
 A3節にモーセとエリヤの名が出てきます。なぜでしょう?旧約の時代は、神の前に出るためには、全焼の生け贄を捧げる必要がありました。「火は絶えず祭壇の上に燃え続かせ、これを消してはならない。」のです。(レビ6:13)そしてその火は、神が下さった火しか使ってはならないのです。(レビ9:23) また、エリヤがバアルの預言者と戦った時も、神より火が下り生け贄を捧げる事が出来ました。神が下した火のように、私たちの罪を全く取り除く事のできる方、それがイエス・キリストなのです。マタイ3:11には、「このかたは、聖霊と火とによっておまえたちにバプテスマをお授けになるであろう。」と書いてあります。私たちが受けた洗礼は、全く私たちを清めて下さるのです。
 B5節には「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である。これに聞け。」と書いてあります。イエスが捕まった時、「主のお言葉を思い出し・・・激しく泣いた。」(ルカ22:61〜62)とあります。ペテロは、主の言葉を思い出した時に変えられたのです。ペテロは、これらの経験を、けっして忘れることはありませんでした。(Uペテロ1:16〜21)み言葉に聞き、み言葉に従っていく時に、私たちも変えられていきます。自分ではそうは思えなくても、周囲からは変貌が見えるのです、見てくれる人が現れるのです。
 キリストの名によって輝いた命を大胆に生きていきましょう。
T.O
報告と消息
・ユースジャム2004のために、お祈り下さい。
・講壇交換で、多摩教会の石田一敏牧師が奉仕されました。
・多摩教会は会堂建築中で、4/17献堂式の予定です。

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