調布キリスト教会

(キリスト教メッセージ要約)
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2004年5月2日 説教:荒井道夫師 教会のページへGO!
イエスの愛しておられた弟子が、ペテロに「あれは主だ」と言った
 
【聖書】ヨハネによる福音書 21章1節〜14節
【説教】「あれは、主だ」
21:1 そののち、イエスはテベリヤの海べで、ご自身をまた弟子たちにあらわされた。そのあらわされた次第は、こうである。 21:2 シモン・ペテロが、デドモと呼ばれているトマス、ガリラヤのカナのナタナエル、ゼベダイの子らや、ほかのふたりの弟子たちと一緒にいた時のことである。 21:3 シモン・ペテロは彼らに「わたしは漁に行くのだ」と言うと、彼らは「わたしたちも一緒に行こう」と言った。彼らは出て行って舟に乗った。しかし、その夜はなんの獲物もなかった。 21:4 夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。しかし弟子たちはそれがイエスだとは知らなかった。 21:5 イエスは彼らに言われた、「子たちよ、何か食べるものがあるか」。彼らは「ありません」と答えた。 21:6 すると、イエスは彼らに言われた、「舟の右の方に網をおろして見なさい。そうすれば、何かとれるだろう」。彼らは網をおろすと、魚が多くとれたので、それを引き上げることができなかった。 21:7 イエスの愛しておられた弟子が、ペテロに「あれは主だ」と言った。シモン・ペテロは主であると聞いて、裸になっていたため、上着をまとって海にとびこんだ。 21:8 しかし、ほかの弟子たちは舟に乗ったまま、魚のはいっている網を引きながら帰って行った。陸からはあまり遠くない五十間ほどの所にいたからである。 21:9 彼らが陸に上って見ると、炭火がおこしてあって、その上に魚がのせてあり、またそこにパンがあった。 21:10 イエスは彼らに言われた、「今とった魚を少し持ってきなさい」。 21:11 シモン・ペテロが行って、網を陸へ引き上げると、百五十三びきの大きな魚でいっぱいになっていた。そんなに多かったが、網はさけないでいた。 21:12 イエスは彼らに言われた、「さあ、朝の食事をしなさい」。弟子たちは、主であることがわかっていたので、だれも「あなたはどなたですか」と進んで尋ねる者がなかった。 21:13 イエスはそこにきて、パンをとり彼らに与え、また魚も同じようにされた。 21:14 イエスが死人の中からよみがえったのち、弟子たちにあらわれたのは、これで既に三度目である。
 
メッセージ(要約)
 主の御名を賛美します。

よみがえられた主イエスが、ガリラヤ湖(デベリヤの海)で弟子達の前に現れた箇所です。これで主イエスは3度現れた事になります。主イエスは現れては隠れを繰り返されています。
使徒信条には『我は聖霊を信ず』とあるとおり、主イエスは次のステップ訓練のため、現れそして隠れ弟子達を訓練されていたのです。弟子達はいつも主イエスと一緒にいたわけですから、十字架の後はさぞ心細かったことでしょう。
ヨハネ14章12節『よくよくあなたがたに言っておく。わたしを信じる者は、またわたしのしているわざをするであろう。そればかりか、もっと大きいわざをするであろう。わたしが父のみもとに行くからである。』に主イエスは、私を信じるものはもっと大きなわざを行うと言われています。聖霊による祝福を述べられているのです。
さて21章に戻りますが、ここで3つの福音が否定形で記されています。
(1)弟子達は魚を捕るため網をおろしますが魚がとれません。そこで主イエスは網をおろすように語られますが、弟子達はそれがイエスだと認識していません。主を失った弟子達の霊的弱さが表現されています。
第一のキーワードは『なんの獲物もなかった』『それがイエスだと知らなかった』
(2)弟子達はそれが主イエスとわかっていませんが、ガッカリしており誰が語られたか以前にそれに従ったのです。網をおろすと多くの魚がとれましたが、網を引き上げる事ができません。主イエスは弟子達と、あまり遠くない所におられました。ここでは、豊かな収穫と、主イエスとの距離を記していますが、主との距離は本当に近いのです。
第二のキーワードは『引き上げる事ができなかった』『あまり遠くない』
(3)網は裂ける事なう153ひきの魚を上げる事ができました。この『網』とは『教会』です。弟子達は主イエスである事が確信できたため、誰も尋ねる者はありませんでした。教会に主イエスは御臨在されている事実がここにあります。
第三のキーワードは『網はさけなかった』『尋ねる者がなかった』
再び14章ですが、『真理の御霊を見る』ことが記されています。これは聖霊の御臨在を体験する事です。あきらかに存在している御霊を感じるのではなく見るのです。
どうぞ祈り、聖霊の臨在を見てください。体験してください。私たちの中に共にいらっしゃるのです。心の目を開き、しっかりと主イエス、聖霊を見てください。いつも共にいて下さっていることを、お解りいただけると思います。

追記:昨日から映画『パッション』(主イエスの受難)が上映開始となり、私たち夫婦も観て来ました。聖書を忠実に再現されており、クリスチャンである私たちは目を覆う場面が何度も登場しました。毎日の祈りとして、皆さんも『使徒信条』や『主の祈り』をなさっていると思いますが、簡単に祈れるような12時間の受難ではなかった事を改めて知る事ができました。本当に苦しまれ、苦しまれ、苦しまれ、ムチ打たれ、そして十字架にかかられたのです。しかもその十字架にかけた者のために、お祈りなさったのです。本当に私の罪のため、あのような苦しみを受けられ、死の後よみがえられた主に改め感謝しかありません。

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