〒182-0024東京都調布市布田1−24−2 
電話:0424−83−0619 
IP:050−3420−1114 
Top > MessegeMenu(キリスト教メッセージ要約)
2004年11月7日 説教:荒井道夫師 教会のページへGO!
彼は望み得ないのに、なおも望みつつ信じた。そのために、「あなたの子孫はこうなるであろう」と言われているとおり、多くの国民の父となったのである。
 
【聖書】ローマ人への手紙 4章9〜25節
【説教】「信仰の父アブラハム」
礼拝式次第
礼拝時間 @09:00-10:00
A11:00-12:15
礼拝前賛美 10:30-10:55
   
前奏  
頌栄 新聖歌60
主の祈り 新聖歌(p826)
開会祈祷  
賛美 新聖歌8
交読 新聖歌53(p869)
今月の賛美 新聖歌453
今週の聖句 ローマ4:18
聖書 ローマ4:9-25(p237)
説教 『信仰の父アブラハム』
    荒井道夫牧師
聖餐 新聖歌49
献金 新聖歌282
報告  
感謝祈祷  
頌栄 新聖歌63
祝祷  
後奏  
愛餐会 ※第一主日のみ
4:9 さて、この幸福は、割礼の者だけが受けるのか。それとも、無割礼の者にも及ぶのか。わたしたちは言う、「アブラハムには、その信仰が義と認められた」のである。4:10 それでは、どういう場合にそう認められたのか。割礼を受けてからか、それとも受ける前か。割礼を受けてからではなく、無割礼の時であった。4:11 そして、アブラハムは割礼というしるしを受けたが、それは、無割礼のままで信仰によって受けた義の証印であって、彼が、無割礼のままで信じて義とされるに至るすべての人の父となり、4:12 かつ、割礼の者の父となるためなのである。割礼の者というのは、割礼を受けた者ばかりではなく、われらの父アブラハムが無割礼の時に持っていた信仰の足跡を踏む人々をもさすのである。4:13 なぜなら、世界を相続させるとの約束が、アブラハムとその子孫とに対してなされたのは、律法によるのではなく、信仰の義によるからである。4:14 もし、律法に立つ人々が相続人であるとすれば、信仰はむなしくなり、約束もまた無効になってしまう。4:15 いったい、律法は怒りを招くものであって、律法のないところには違反なるものはない。4:16 このようなわけで、すべては信仰によるのである。それは恵みによるのであって、すべての子孫に、すなわち、律法に立つ者だけにではなく、アブラハムの信仰に従う者にも、この約束が保証されるのである。アブラハムは、神の前で、わたしたちすべての者の父であって、4:17 「わたしは、あなたを立てて多くの国民の父とした」と書いてあるとおりである。彼はこの神、すなわち、死人を生かし、無から有を呼び出される神を信じたのである。4:18 彼は望み得ないのに、なおも望みつつ信じた。そのために、「あなたの子孫はこうなるであろう」と言われているとおり、多くの国民の父となったのである。4:19 すなわち、およそ百歳となって、彼自身のからだが死んだ状態であり、また、サラの胎が不妊であるのを認めながらも、なお彼の信仰は弱らなかった。4:20 彼は、神の約束を不信仰のゆえに疑うようなことはせず、かえって信仰によって強められ、栄光を神に帰し、4:21 神はその約束されたことを、また成就することができると確信した。4:22 だから、彼は義と認められたのである。4:23 しかし「義と認められた」と書いてあるのは、アブラハムのためだけではなく、4:24 わたしたちのためでもあって、わたしたちの主イエスを死人の中からよみがえらせたかたを信じるわたしたちも、義と認められるのである。4:25 主は、わたしたちの罪過のために死に渡され、わたしたちが義とされるために、よみがえらされたのである。
メッセージ(要約)
 主の御名を賛美します。

『父』のイメージは・・・
・あるべき姿を現している存在
・将来の目標
ここに登場するアブラハムは、今から約4千年前の人です。75歳の時神と出会い信じる事となります。神は「あなたの子孫は星の数のようになる」と言われました。が、既にアブラハムは年老いており、信じがたい事を神が告げるのです。しかしアブラハムは全てを信じました。
イサクが生まれたのです。待ちに待った息子が与えられました。神はそのイサクを供え物として捧げるようにアブラハムに伝え、アブラハムはそれに従いました。理解できませんがそれに従いました。まさにそうする時、神からの信頼を得るのです。
創世記26:5にアブラハムは神のおきてを守ったから祝福された!と記されています。重要な箇所ですね。おきてである割礼を守ったからでしょうか?そうではないのです。では・・・
@アブラハムは割礼を受ける前、信仰により義と認められたのです。ではアブラハムの信仰とは・・・
A死人をも生き帰す神を信じたのです。
ここで重要な事は、おきてを守る以前に、死人をも生き帰す全能の神を信じる事なのです。それにより私達は『義』とされるのですから。

テケテケ
報告と消息

 [Menu]