日本ホーリネス教団 〒710-0038岡山県倉敷市新田1299-12 
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倉敷ホーリネスチャーチ

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2006年5月28日 説教:郷家一二三師 教会のページへGO!
4:22 すなわち、あなたがたは、以前の生活に属する、情欲に迷って滅び行く古き人を脱ぎ捨て、4:23 心の深みまで新たにされて、4:24 真の義と聖とをそなえた神にかたどって造られた新しき人を着るべきである。
 
【聖書】エペソ人への手紙4章17〜32節(特別伝道礼拝)
【説教】「古い人を脱いで新しい人を着よう」
※特別伝道礼拝の「ちらし」など詳細ページはこちらから!※
4:17 そこで、わたしは主にあっておごそかに勧める。あなたがたは今後、異邦人がむなしい心で歩いているように歩いてはならない。4:18 彼らの知力は暗くなり、その内なる無知と心の硬化とにより、神のいのちから遠く離れ、4:19 自ら無感覚になって、ほしいままにあらゆる不潔な行いをして、放縦に身をゆだねている。4:20 しかしあなたがたは、そのようにキリストに学んだのではなかった。4:21 あなたがたはたしかに彼に聞き、彼にあって教えられて、イエスにある真理をそのまま学んだはずである。4:22 すなわち、あなたがたは、以前の生活に属する、情欲に迷って滅び行く古き人を脱ぎ捨て、4:23 心の深みまで新たにされて、4:24 真の義と聖とをそなえた神にかたどって造られた新しき人を着るべきである。4:25 こういうわけだから、あなたがたは偽りを捨てて、おのおの隣り人に対して、真実を語りなさい。わたしたちは、お互に肢体なのであるから。4:26 怒ることがあっても、罪を犯してはならない。憤ったままで、日が暮れるようであってはならない。4:27 また、悪魔に機会を与えてはいけない。4:28 盗んだ者は、今後、盗んではならない。むしろ、貧しい人々に分け与えるようになるために、自分の手で正当な働きをしなさい。4:29 悪い言葉をいっさい、あなたがたの口から出してはいけない。必要があれば、人の徳を高めるのに役立つような言葉を語って、聞いている者の益になるようにしなさい。4:30 神の聖霊を悲しませてはいけない。あなたがたは、あがないの日のために、聖霊の証印を受けたのである。4:31 すべての無慈悲、憤り、怒り、騒ぎ、そしり、また、いっさいの悪意を捨て去りなさい。4:32 互に情深く、あわれみ深い者となり、神がキリストにあってあなたがたをゆるして下さったように、あなたがたも互にゆるし合いなさい。
礼拝式次第
礼拝時間 10:30-12:00
   
前奏  
招詞 司会者
頌栄 新聖歌60
主の祈り  
信仰告白 使徒信条
賛美 威光・尊厳・栄誉
開会祈祷  
賛美 さあ主にささげよう
賛美 あなたの愛は
賛美 主の前にひざまずき
講師紹介  
聖書 エペソ4:17-32
説教 『古い人を脱いで新しい人と着よう』
  郷家一二三師
献金 主イエスは私のすばらしい友
感謝祈祷  
頌栄 新聖歌63
祝祷  
後奏  
報告  
愛餐会(食事)  
メッセージ(要約)
主の御名を賛美します。

 本日は、東京聖書学院講師であり、坂戸教会牧師でもあります、郷家一二三師がメッセージを語られました。郷家師の開口一番、倉敷の事を「倉吉はとても魅力的な町で・・・」と間違えられ、会衆の笑いを誘いました。つかみはOKです。
郷家師はユース(青少年)伝道に注力されています。坂戸教会は最寄り駅から4キロメートルも離れていますが、毎週ユースで賑わっています。また師はユースである条件についてユニークに考えられています。まずユースの始まりは「夢を語り出した時」とされ、ユースの終わりを「今の若い者は」と思った時とされています。う〜ん、なるほど。
 聖書を開く前に、師が強烈な印象を受けた一つの詩を紹介されました。それは、吉野弘さんという方の「I was born」(※文末参照)という詩です。生まれる時は、自分から世に出たのではなく、生まれさせられたのです。信仰も同じで、勝ち取ったのではなく、与えられたのです。
洗礼を受ける時、古い自分は過ぎ去り新しい人に創り変えられます。その新生をしっかり持っている人もいますが、何となく洗礼を受けた人も悩む必要はありません。新しく生まれ変わった時、自分の意志ではなく、与えられたもので記憶になくても大丈夫だからです。また生きる事について、本能のまま、情欲に流されて、思いのままにもし、生きているとするならば、これはまさに古い人を着たままなのです。日曜日、教会へ行く前に古い服を脱ぐのですが、月曜日からまた着てしまう人がいます。それでは何にもなりません。古い服を着た人の例として、良い行いをしたら良い褒美があるとか、悪い事をしたら「バチ」が当たるとか、思う事自体が古い服を着た人なのです。洗礼を受けた人は既に古い人ではなく、キリストにより創り変えられた人です。その恵みを実感してください。
 では、「新しい人」の特徴とはどんな事でしょうか。以下簡単に説明します。
(1)偽りを捨てて、真実を語ります。一つのウソは次のウソを呼んでしまいます。
(2)憤ったまま夜を越えません。怒りを捨てろという事ではありません。後の日まで引きずる事のないようにしてください。夫婦げんかも「延長戦」をしないように。
(3)盗んではなりません。
(4)悪口を言ってはなりません。
「あの人はクリスチャンなのに悪口ばかり言って」と思う事もあるでしょう。しかし、その人も既に新しい人へと創り変えられている事を忘れてはなりません。
パウロはこの書簡をエペソの信徒に書いていますが、彼らの行動は決してキリストの弟子として見本となるようなものではなかったようです。しかしパウロは新しい服を既に着ている事に疑いを持ってはいないのです。信頼し、手紙をしたためているのです。
 教会、クリスチャンはゆるし合う事が大切です。人格の違う人が集まると争いもあるでしょう。そこにあってゆるしあう事が重要なのです。日曜日に新しい服を着て、月曜日に古い服に着替える事のないように・・・
[午後の集いはこちらからご覧ください!]
テケテケ
「I was born」 吉野弘
確か英語を習い始めて間もない頃だ。

ある夏の宵。父と一緒に寺の境内を歩いてゆくと、青い夕もやの奥から浮き出るように、白い女がこちらへやってくる。物うれいげに、ゆっくりと。

女は身重らしかった。父に気兼ねしながらも僕は女の腹から目を離さなかった。頭を下にした胎児の柔軟なうごめきを腹のあたりに連想し、それがやがて世に生まれ出ることの不思議に打たれていた。

女はゆき過ぎた。

少年の思いは飛躍しやすい。その時僕は(生まれる)ということが、まさしく(受身)である訳をふと諒解(りょうかい)した。僕は興奮して父に話しかけた。−やっぱり I was born なんだね−
父はけげんそうに僕の顔を覗きこんだ。僕は繰り返した。
− I was born さ。受身形だよ。正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね −
その時どんな驚きで父は息子の言葉を聞いたか。僕の表情が単に無邪気として父の眼にうつり得たか。それを察するには僕はまだ余りに幼かった。僕にとってこの事は文法上の単純な発見に過ぎなかったのだから。

父は無言でしばらく歩いた後、思いがけない話をした。
− かげろうという虫はね、生まれてから二、三日で死ぬんだそうだが、それなら一体、何のために世の中へ出てくるのかと、そんな事がひどく気になった頃があってね −
僕は父を見た。父は続けた。
− 友人にその話しをしたら、ある日これがかげろうのメスだといって拡大鏡で見せてくれた。説明によると、口は全く退化して食物を摂るに適しない。胃の腑を開いても、入っているのは空気ばかり。見ると、その通りなんだ。ところが、卵だけは腹の中にぎっしり充満していて、ほっそりした胸の方まで及んでいる。それはまるで、目まぐるし繰り返される生き死にの悲しみが咽喉もとまで、こみあげているように見えるのだ。淋しい、光の粒々だったね。私が友人の方を振り向いて(卵)というと、彼もうなずいて答えた。(せつなげだね)そんなことがあって間もなくのことだったんだよ、お母さんがおまえを生み落としてすぐに死なれたのは −。

父の話のそれから後は、もう覚えていない。ただひとつの痛みのように切なく、僕の脳裏に焼きついたものがあった。

− ほっそりとした母の、胸の方まで、息苦しくふさいでいた、白い僕の肉体 −。
報告と消息
○5/28(日) 10:30〜郷家師特別礼拝タイトル「私たちを生かす愛」 午後13:30〜yoothの集い 16:30〜教区総会
○6/ 4(日) 聖餐式・月例会があります。
○体調を崩されている方々のため引き続きお祈りください。

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