倉敷ホーリネスチャーチ

(キリスト教メッセージ要約)
〒710−0811 岡山県倉敷市川入821−3
TEL(086)434−4766
牧師 岡野智
2001年4月22日の週報 説教:紀子師 司会:大元兄 奏楽:紀子師
 
【聖書】ヨハネによる福音書21章1〜19節
【説教】「」
21:1 そののち、イエスはテベリヤの海べで、ご自身をまた弟子たちにあらわされた。そのあらわされた次第は、こうである。 21:2 シモン・ペテロが、デドモと呼ばれているトマス、ガリラヤのカナのナタナエル、ゼベダイの子らや、ほかのふたりの弟子たちと一緒にいた時のことである。 21:3 シモン・ペテロは彼らに「わたしは漁に行くのだ」と言うと、彼らは「わたしたちも一緒に行こう」と言った。彼らは出て行って舟に乗った。しかし、その夜はなんの獲物もなかった。 21:4 夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。しかし弟子たちはそれがイエスだとは知らなかった。 21:5 イエスは彼らに言われた、「子たちよ、何か食べるものがあるか」。彼らは「ありません」と答えた。 21:6 すると、イエスは彼らに言われた、「舟の右の方に網をおろして見なさい。そうすれば、何かとれるだろう」。彼らは網をおろすと、魚が多くとれたので、それを引き上げることができなかった。 21:7 イエスの愛しておられた弟子が、ペテロに「あれは主だ」と言った。シモン・ペテロは主であると聞いて、裸になっていたため、上着をまとって海にとびこんだ。 21:8 しかし、ほかの弟子たちは舟に乗ったまま、魚のはいっている網を引きながら帰って行った。陸からはあまり遠くない五十間ほどの所にいたからである。 21:9 彼らが陸に上って見ると、炭火がおこしてあって、その上に魚がのせてあり、またそこにパンがあった。 21:10 イエスは彼らに言われた、「今とった魚を少し持ってきなさい」。 21:11 シモン・ペテロが行って、網を陸へ引き上げると、百五十三びきの大きな魚でいっぱいになっていた。そんなに多かったが、網はさけないでいた。 21:12 イエスは彼らに言われた、「さあ、朝の食事をしなさい」。弟子たちは、主であることがわかっていたので、だれも「あなたはどなたですか」と進んで尋ねる者がなかった。 21:13 イエスはそこにきて、パンをとり彼らに与え、また魚も同じようにされた。 21:14 イエスが死人の中からよみがえったのち、弟子たちにあらわれたのは、これで既に三度目である。 21:15 彼らが食事をすませると、イエスはシモン・ペテロに言われた、「ヨハネの子シモンよ、あなたはこの人たちが愛する以上に、わたしを愛するか」。ペテロは言った、「主よ、そうです。わたしがあなたを愛することは、あなたがご存じです」。イエスは彼に「わたしの小羊を養いなさい」と言われた。 21:16 またもう一度彼に言われた、「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか」。彼はイエスに言った、「主よ、そうです。わたしがあなたを愛することは、あなたがご存じです」。イエスは彼に言われた、「わたしの羊を飼いなさい」。 21:17 イエスは三度目に言われた、「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか」。ペテロは「わたしを愛するか」とイエスが三度も言われたので、心をいためてイエスに言った、「主よ、あなたはすべてをご存じです。わたしがあなたを愛していることは、おわかりになっています」。イエスは彼に言われた、「わたしの羊を養いなさい。 21:18 よくよくあなたに言っておく。あなたが若かった時には、自分で帯をしめて、思いのままに歩きまわっていた。しかし年をとってからは、自分の手をのばすことになろう。そして、ほかの人があなたに帯を結びつけ、行きたくない所へ連れて行くであろう」。 21:19 これは、ペテロがどんな死に方で、神の栄光をあらわすかを示すために、お話しになったのである。こう話してから、「わたしに従ってきなさい」と言われた。
 
メッセージ(要約)
 主の御名を賛美します。
岡野智師が検査入院のため、紀子師がメッセージをされました。
この21章は後で付け加えられた箇所と言われています。弟子たちとイエス様の3度目の出会いが書かれています。主イエスが葬られ、その後弟子たちは元の仕事についていました。そこへイエス様が現れたのです。現れたイエスは漁師である弟子たちに「舟の右へ網をおろしてみなさい」と言われ、その通りにすると153ビキもの魚が獲れたと書かれています。その後主イエスはペテロに「私を愛するか?」と3度聞かれています。十字架にかかる前、ペテロは3度「私は知らない」と答えています。この事はペテロの重荷になっている事を主イエスはよくご存じで、個人の心の中にまで入られ、このようにやり直しの機会をお与えになっているのです。ペテロは主イエスの問いに「もちろん愛しています」とは答えず、「あなたがご存じです」と答えました。言葉だけでなく全てを主イエスに委ねている事がわかります。
主イエスは私達一人一人に対しても「私を愛しているか?」といつも問われています。「愛しているかどうかはあなたがご存じです」といかなる苦難な時でもお答えしたいものです。
ペテロの愛の証は教会のために使えなさいと言われた主イエスの言葉を守っています。「愛」には大きな責任と犠牲が伴っています。しかし自分のまわりの小さな「愛」も存在します。主イエスは大きな愛を私達に下さいましたが、その大きな恵みを感じながら小さな愛から始めることも大切な事だと思います。
T.O
報告と消息


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