今週のお知らせ |
※本日は伝道礼拝です。 ※20日は子供会が開かれます。お祈り下さい。
※尊い御献金に感謝致します。(永見師・中国教区)
※礼拝後、『桃太郎だより』の発送準備をします。
週報(1997年8月17日) 司会:梶原兄
前奏 | 黙祷 | 献金 | 聖歌 442 | 大元兄 | ||
招詞 | 司会者 | 感謝祈祷 | ||||
頌栄 | 聖歌 384 | 起立 | 頌栄 | 聖歌 383 | 起立 | |
主の祈り | 〃 | 祝祷 | 牧師 | |||
信仰告白 | 使徒信条 | 〃 | 後奏 | 着席 | ||
賛美 | 聖歌 406 | 〃 | 報告 | 着席 | ||
交読 | 詩編 78編21〜40節 | 着席 | ||||
祈祷 | 司会者 | |||||
賛美 | 喜び歌おう | 着席 | ||||
賛美 | 生ける限り主を | 〃 | ||||
聖書 | ローマ 4章1〜8節 | 牧師 | ||||
説教 | 「ここに幸あり」 | 〃 |
ローマ 4章1節〜8節
4:1 それでは、肉によるわたしたちの先祖アブラハムの場合については、なんと言ったらよいか。
4:2 もしアブラハムが、その行いによって義とされたのであれば、彼は誇ることができよう。しかし、神のみまえでは、できない。
4:3 なぜなら、聖書はなんと言っているか、「アブラハムは神を信じた。それによって、彼は義と認められた」とある。
4:4 いったい、働く人に対する報酬は、恩恵としてではなく、当然の支払いとして認められる。
4:5 しかし、働きはなくても、不信心な者を義とするかたを信じる人は、その信仰が義と認められるのである。
4:6 ダビデもまた、行いがなくても神に義と認められた人の幸福について、次のように言っている、
4:7 「不法をゆるされ、罪をおおわれた人たちは、さいわいである。 4:8 罪を主に認められない人は、さいわいである」。
『幸福とは』いったい何なのでしょうか?何か達成した時、自分が人から認められた時等ではないでしょうか?人と比べて勝っていると安心する。また、人をけ落としてでも認められようと願う。何かおかしいような気がします。
それでは、『本当の幸福とは』何でしょう?神様が私たちの罪を取り去ってくださり、罪を覆って下さる事を感じることではないでしょうか。神様は私たちの恥ずかしい部分、罪な部分、優れた部分を全てご存じで、しかも全てをお許し下さいます。自分の罪を素直に告白し、本当の『幸福』に喜びましょう。
T.O