今週のお知らせ |
※9月14日は特別集会です。びわこ教会の中西師がご用をなさいます。
※9月15日は千代田パークホテルで学院デーが開かれます。お祈り下さい。
※尊い御献金に感謝致します。(地濃師・矢野師)
週報(1997年8月24日) 司会:大元兄 礼拝出席:14名
前奏 | 黙祷 | 献金 | 聖歌 396 | 梶原姉 | ||
招詞 | 司会者 | 感謝祈祷 | ||||
頌栄 | 聖歌 384 | 起立 | 頌栄 | 聖歌 383 | 起立 | |
主の祈り | 〃 | 祝祷 | 牧師 | |||
信仰告白 | 使徒信条 | 〃 | 後奏 | 着席 | ||
賛美 | 聖歌 397 | 〃 | 報告 | 着席 | ||
交読 | 詩編 78編41〜72節 | 着席 | ||||
祈祷 | 司会者 | |||||
賛美 | 讃美歌270 | 着席 | ||||
賛美 | 讃美歌525 | 〃 | ||||
聖書 | マタイ18章1〜11節 | 牧師 | ||||
説教 | 「幼な子の如く」 | 〃 |
マタイ 18章1節〜11節
この箇所は『教会』『兄弟との関係』についての事が記されています。私の隣人をどう受け入れるか!ここで主イエスは『幼な子』という表現をされています。いったい『幼な子』とは・・・?
主イエスの弟子たちは「なぜいつもペテロを主は用いられるのか?」と、自分とペテロを比べどちらが偉いのか?などと考えていたのではないでしょうか?主は『幼な子』は自分が偉くないことを知っており、自分一人では何にも出来ない事を知っている。また、自分の罪を知っている。と言われているのではないでしょうか。その後の聖書の箇所には『小さい者』という表現がされています。同じような意味ではないかと思います。
今一度、主イエスの十字架によって生かされている事を心に置き、『幼な子』の心で主にお仕えしましょう!
P.S
本日の礼拝に初めての方が来られました。自分から進んで、また、当教会を探してこられました。本当に主に感謝いたします。どうぞ、その方のためにもお祈り下さい。
18:1 そのとき、弟子たちがイエスのもとにきて言った、「いったい、天国ではだれがいちばん偉いのですか」。
18:2 すると、イエスは幼な子を呼び寄せ、彼らのまん中に立たせて言われた、
18:3 「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。
18:4 この幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである。
18:5 また、だれでも、このようなひとりの幼な子を、わたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。
18:6 しかし、わたしを信ずるこれらの小さい者のひとりをつまずかせる者は、大きなひきうすを首にかけられて海の深みに沈められる方が、その人の益になる。
18:7 この世は、罪の誘惑があるから、わざわいである。罪の誘惑は必ず来る。しかし、それをきたらせる人は、わざわいである。
18:8 もしあなたの片手または片足が、罪を犯させるなら、それを切って捨てなさい。両手、両足がそろったままで、永遠の火に投げ込まれるよりは、片手、片足になって命に入る方がよい。
18:9 もしあなたの片目が罪を犯させるなら、それを抜き出して捨てなさい。両眼がそろったままで地獄の火に投げ入れられるよりは、片目になって命に入る方がよい。
18:10 あなたがたは、これらの小さい者のひとりをも軽んじないように、気をつけなさい。あなたがたに言うが、彼らの御使たちは天にあって、天にいますわたしの父のみ顔をいつも仰いでいるのである。
18:11 〔人の子は、滅びる者を救うためにきたのである。〕
T.O