主日礼拝式順序 | ||
前奏 | 黙祷 | |
招詞 | 司会者 | |
頌栄 | 聖歌 384 | 起立 |
主の祈り | 〃 | |
信仰告白 | 使徒信条 | 〃 |
賛美 | 聖歌 607 | 〃 |
交読 | 詩篇 120篇 | 着席 |
祈祷 | 司会者 | |
賛美 | 驚くばかりの | 着席 |
賛美 | 明日を守られるイエス様 | 〃 |
聖書 | ガラテヤ 2章15〜21節 | 牧師 |
説教 | 「人生は無駄ではない」 | 〃 |
献金 | 聖歌 590 | 〃 |
感謝祈祷 | 梶原姉 | |
頌栄 | 聖歌 383 | 起立 |
祝祷 | 牧師 | |
後奏 | 起立 | |
報告 | 着席 | |
愛餐会 | おいしい食事があります |
ガラテヤ 2章15〜21節
2:15 わたしたちは生れながらのユダヤ人であって、異邦人なる罪人ではないが、2:16 人の義とされるのは律法の行いによるのではなく、ただキリスト・イエスを信じる信仰によることを認めて、わたしたちもキリスト・イエスを信じたのである。それは、律法の行いによるのではなく、キリストを信じる信仰によって義とされるためである。なぜなら、律法の行いによっては、だれひとり義とされることがないからである。2:17 しかし、キリストにあって義とされることを求めることによって、わたしたち自身が罪人であるとされるのなら、キリストは罪に仕える者なのであろうか。断じてそうではない。2:18 もしわたしが、いったん打ちこわしたものを、再び建てるとすれば、それこそ、自分が違反者であることを表明することになる。2:19 わたしは、神に生きるために、律法によって律法に死んだ。わたしはキリストと共に十字架につけられた。2:20 生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである。2:21 わたしは、神の恵みを無にはしない。もし、義が律法によって得られるとすれば、キリストの死はむだであったことになる。
私達には平等に一日24時間が与えられています。しかしその時間も長く感じるときやそうでないときがありますね。過去を振り返り落胆することも少なくありません。が、過去があってこそ今があることを忘れる事は出来ません。辛い境遇に今あろうともきっと良いこやしとなり、無駄ではなかった事に気付くはずです。
牧師の証しより、学生時代一生懸命勉強し卒業したが就職に恵まれなかったこと。また、体の病に気付き入院・退院したが働くことも出来ないことを知らされた時。・・・いったい何のために生まれて来たのだろう?存在する価値があるのだろうか?しかし、主のご計画は素晴らしかったのです。過去の経験を十分生かし、忍耐強い牧師を送って下さったのです。
どんな時も主イエス・キリストと共に生きる。いかなる時もキリストのものであり続ける。そう思い続け、行動することによって「義」とされるのです。無駄なものなどみじんもありません。自分の愚かさ、罪を素直に認め、ゆだねる事が大切です。
いつも私達を「待ち伏せ」し、共に生き続けて下さっています主に心から感謝です。
T.O
礼拝奉仕 | 先週の集会 | |||||
今 週 | 次 週 | 日 付 | 人数 | |||
司 会 | 梶原兄 | 大元兄 | 教会学校 | 9月13日 | 11人 | |
奏 楽 | 紀子師 | 紀子師 | 礼拝 | 9月13日 | 12人 | |
献 金 | 池島姉 | 大元姉 | 午前祈祷会 | 9月17日 | 3人 | |
受 付 | 池島姉 | 大元姉 | 午後祈祷会 | 9月17日 | 3人 | |
食 事 | 大元姉 | 紀子師 |
※学院デーは8名の出席者がありました。
※千永子姉宅集会は出席者が4名でした。
※9月23日:親睦会、場所は教会の庭です。
※尊い御献金に感謝いたします。<河野正之師・広島福音教会>