倉敷ホーリネスチャーチ(キリスト教メッセージ要約) |
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2001年2月18日の週報 | 説教:岡野師 司会:大元兄 奏楽:紀子師 |
【聖書】コリント人への第二の手紙5章1〜10節 【説教】「主イエスに再び会う日」 |
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5:1 わたしたちの住んでいる地上の幕屋がこわれると、神からいただく建物、すなわち天にある、人の手によらない永遠の家が備えてあることを、わたしたちは知っている。 5:2 そして、天から賜わるそのすみかを、上に着ようと切に望みながら、この幕屋の中で苦しみもだえている。 5:3 それを着たなら、裸のままではいないことになろう。 5:4 この幕屋の中にいるわたしたちは、重荷を負って苦しみもだえている。それを脱ごうと願うからではなく、その上に着ようと願うからであり、それによって、死ぬべきものがいのちにのまれてしまうためである。 5:5 わたしたちを、この事にかなう者にして下さったのは、神である。そして、神はその保証として御霊をわたしたちに賜わったのである。 5:6 だから、わたしたちはいつも心強い。そして、肉体を宿としている間は主から離れていることを、よく知っている。 5:7 わたしたちは、見えるものによらないで、信仰によって歩いているのである。 5:8 それで、わたしたちは心強い。そして、むしろ肉体から離れて主と共に住むことが、願わしいと思っている。 5:9 そういうわけだから、肉体を宿としているにしても、それから離れているにしても、ただ主に喜ばれる者となるのが、心からの願いである。 5:10 なぜなら、わたしたちは皆、キリストのさばきの座の前にあらわれ、善であれ悪であれ、自分の行ったことに応じて、それぞれ報いを受けねばならないからである。 |
メッセージ(要約) | ||
主の御名を賛美します。 私達は善な人であれ、悪な人であれ最後に主イエス・キリストと会うことになります。そして裁かれるのです。 パウロは自分のしたこと、考えることすべてが主の前に出され、それを裁かれると言っています。そして裁かれる事を信じるものは勇気を与えられるとも言っています。信仰によって支えられている私達は心強いのです。そして信じる私達の裁きは既に主イエスが受けられているのです。 クリスチャンにとって、主イエスと再び会う日は裁きの日ではなく、勇気・喜び・幸せの日なのです。 T.O |
報告と消息 |
※会堂建築予定地に今まで立っていた建物の解体が始まりました。 ※尊い御献金に感謝いたします。 <田中師(矢板教会)・長井教会・大西姉(土居教会)・鳩山教会> |