倉敷ホーリネスチャーチ

(キリスト教メッセージ要約)
〒710−0811 岡山県倉敷市川入821−3
TEL(086)434−4766
牧師 岡野智
1999年11月28日の週報 説教:白根師 司会:河野兄 奏楽:植田姉
 
【聖書】出エジプト記20章4節〜6節
【説教】「ねたむほどの愛」
20:4 あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水のなかにあるものの、どんな形をも造ってはならない。 20:5 それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものは、父の罪を子に報いて、三、四代に及ぼし、 20:6 わたしを愛し、わたしの戒めを守るものには、恵みを施して、千代に至るであろう。
 
メッセージ(要約)
 主の御名を賛美します。
今週は広島教会で合同礼拝でした。感謝です。
以前(35年くらい前)、広島県大竹市で家庭集会があり、同行した外人の宣教師が仏壇のある居間で伝道することに大きな驚きを覚えていたと白根師は言われました。たぶん私の実家の話をされたのでしょう。仏壇があり、神棚があるそこで伝道をする事を不思議に思ったのです。
この箇所は十戒の第二の戒めですが、聖書の偶像とはいったい何なのでしょうか?
それを崇め拝んでしまう。これが偶像といっています。自分は何も信じていない。自分だけがたよりだ!これは何も信じていないように思えますが、実は自分を崇拝しているのです。私達は全能の神に創造されつくられた者、その者が神になることは決してありません。神は霊であり、見る事はできないのです。「神様は何でもゆるして下さる」と自分に都合の良い神様をつくっていませんか?これこそ偶像なのです。
神は偶像をねたみ、嫌われます。ねたむほどに私達を愛して下さっているのです。激しい愛の神なのです。

T.O
報告と消息
※今週は広島教会で合同礼拝でした。
※尊い御献金に感謝いたします。

Back] [Menu] [Next