主日礼拝式順序 | ||
前奏 | 黙祷 | |
招詞 | 司会者 | |
頌栄 | 聖歌 384 | 起立 |
主の祈り | 〃 | |
信仰告白 | 使徒信条 | 〃 |
賛美 | 聖歌 394 | 〃 |
交読 | 詩篇 135篇 | 着席 |
祈祷 | 司会者 | |
賛美 | 讃美歌 37A | 着席 |
賛美 | 讃美歌 87A | 〃 |
聖書 | ヨハネ3章31〜36節 | 牧師 |
説教 | 「キリストはどこから」 | 〃 |
献金 | 聖歌 522 | 〃 |
感謝祈祷 | 梶原姉 | |
頌栄 | 聖歌 383 | 起立 |
祝祷 | 牧師 | |
後奏 | 起立 | |
報告 | 着席 | |
聖書と祈り | テサロニケ第1の3章 | |
愛餐会 | 美味しい食事があります |
ヨハネ3章31〜36節
3:31 上から来る者は、すべてのものの上にある。地から出る者は、地に属する者であって、地のことを語る。天から来る者は、すべてのものの上にある。3:32 彼はその見たところ、聞いたところをあかししているが、だれもそのあかしを受けいれない。3:33 しかし、そのあかしを受けいれる者は、神がまことであることを、たしかに認めたのである。3:34 神がおつかわしになったかたは、神の言葉を語る。神は聖霊を限りなく賜うからである。3:35 父は御子を愛して、万物をその手にお与えになった。3:36 御子を信じる者は永遠の命をもつ。御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまるのである」。
この箇所には信仰の道筋(神様を愛するとはどういうことか)が丁寧に書かれてあります。31節では、「上から来るもの」とありますが、これはキリストにほかなりません。そして、キリストは父のみ心を果たすために来られたのです。
上とは天のことです。では天はどこでしょう?天は高い場所というイメージが私達にはありますが、そうではなく、天とは父なる神がおられる所なのです。すべてのものの上にあると言うことは、すべてのものを支配していると言うことです。
32節で、「彼はその・・・証ししているが」とありますが、この証とは、父なる神がどんなに地上にあるものを愛しておられるか良く知っており、その父の御心に従ってイエスはこの地上に来て下さったということ、その心理を証ししています。
神様の方から私達の中に飛び込んできて下さったのです。そして今も共に生きていて下さる、この事に私達は生きる喜びを見いだすことが出来ます。
しかし32節後半では、誰もそれを受け入れないとあります。
それこそが私達の罪の現実であり、ヨハネはそれをしっかり見つめ、書き記しています。そしてそのすぐ後の33節では、「それを受け入れるものは」と書くところに、福音書のおもしろさがあります。
暗闇の中にあるがその彼方から光が射してくる。その光を見いだす者になって欲しい、ということなのです。
さらに、もう一つ気になる言葉が書かれています。
「永遠の命」と、「神の怒り」と言う言葉です。
これは、信じないから神が怒られると言うことではありません。元々私達は神の怒りのもとにさらされていたのです。自分の上に神の怒りがあると言うことさえ気付かすに、自分勝手に生きていました。しかし、イエスが来て下さり、神の怒りを受け止め私の代わりに死んで下さいました。
そして、「永遠の命」とは、ヨハネ17:2,3に書かれています。
「永遠の命とは、唯一の、まことの神でいますあなたと、また、あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります。」
そのことをいつまでも信じさせていただきましょう。
K.O
礼拝奉仕 | 先週の集会 | |||||
今 週 | 次 週 | 日 付 | 人数 | |||
司 会 | 梶原兄 | 大元兄 | 教会学校 | 1月10日 | 11人 | |
奏 楽 | 紀子師 | 紀子師 | 礼拝 | 1月10日 | 11人 | |
献 金 | 梶原姉 | 梶原兄 | 午前祈祷会 | 1月14日 | 2人 | |
受 付 | 大元姉 | 梶原姉 | 午後祈祷会 | 1月14日 | 2人 | |
食 事 | 大元姉 | 紀子師 |
※次週は中国教区新年聖会があります。広島教会(村上師)
※21日千永子姉宅集会があります。PM4時から
※尊い御献金に感謝いたします。<園師(壬生川)・上野教会・川崎教会>